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若は弱か、老はlowか。

  4月下旬、バイト先のファミリーレストランに私よりちょっと年上くらいの、同世代くらいの4人組が入店した。彼らは日当たりの良い窓際の席に座り、それぞれハンバーグとライス替わりのドリアと、デザートにパンケーキを頼んだ。頼む料理の量の多さ驚く。まあ体の大きい成人男性だし、このくらい普通なのかもしれない。

「お飲み物お付けしますか?アイスティーかコーヒーですとおかわり自由ですが」
「あー……じゃあ俺はコーヒーで」
「僕も」
「すいません、4人みんなホットコーヒーでお願いします」

  日も長くなる4月下旬。メインとなる料理をそれぞれ2つずつ頼む4人は、ファッショナブルにアイスティーを頼むもんだと勝手に思っていた。4人でコーヒー、しかもホットを飲むのか。渋いな。

「かしこまりました。ホットコーヒーはお先にお持ち致します」
「お願いします」

  ドリンク類は先に出す決まりである。私は注文を受けた直後にお客様の頼んだドリンクが何であるかという記憶を簡単に手放しがちなのだが、今回の4人組に関してはコーヒーが意外だったのもあって、ちゃんと頭に留めておくことができた。

「お待たせしました。コーヒーでございます」

  無事にコーヒーを4人組に届けた時、彼らは結婚式の話をしていた。どうやらここにはいない彼らの仲間が結婚するらしい。私の友達も2人目を妊娠中だと聞いた。なるほど、お互い結婚がだんだん身近になる年齢らしい。

「畑中さん、次3名様入れるから急いで片付けて来てくれる?」

  お昼時のレストランはいつも以上に混んできていた。お客様は彼ら4人組だけじゃないので、他の卓の注文内容を覚えながら新しいお客様のための席を片付けなければいけない。片付けてる間にまたドリンクがなんだったかを絶対忘れる。自信がある。みんなコーヒー頼んでくれ。

「ありがとうございます、またお越しくださいませ!」

  今度は4人組のすぐ近くの席が空いた。急いで片付けに行く。お子様がいた席だ、大変に荒れている。これはちょっと時間がかかりそう。散らかったおしぼり、ストロー、取り皿をトレイにのせながらバタバタと片付けていると、4人組の会話が聞こえてきた。

「いいなー、結婚」
「まあ俺たちも好きなことしてるし、幸せではあるじゃん」
「まあ、ねえ」
「でもこれがいつまで続けられるかだよ」
「夢はいつでも目指せるとか、叶えられるとか、最近よく聞くけど、現実はそうもいかないしね、難しいよね」

  夢はいつでも目指せるが現実はそうもいかない場合が多い。刺さった。そう、将来子どもがほしいと思ったとすると、体力の問題を考えて早く結婚すべきだし、家族を持つと所得がある程度ないと生きていけない。一人で生きていくことを自分で決めても、外野の声がうるさかったりする。世間体がどうとか老後が寂しくなるぞ、とか。というかそもそも生きるのに金がかかりすぎるのだ。夢がどうとかつべこべ言う前にちゃんと働いて金を稼がないと悲惨なことになる。

  そう考えるといい仕事に就くべきだし、いい仕事に就くためにいい大学に入るべきだし、いい大学に入るためにたくさん勉強するべきだ。遊んでばかりいずに。将来のために幸せのために、すべきことをすべきで、やりたいことは後回しにして。子ども時代は遊びたいけど我慢して勉強、歌いたいけど我慢して勉強、居眠りせずにおしゃべりせずに前を向いて授業を受けて。大人の方が自由きくしその時にしたいことすればいいじゃん、だから子どもの時はとにかく勉強。

「大学の卒業旅行は、めちゃくちゃ楽しいらしい」

  その言葉を信じて、それだけを楽しみに大人の言う通り生きた。そうして私が卒業旅行に行く予定だった2020年度、何があったか。私や私の友達が卒業旅行に行くことはなかった。ひどい仕打ちである。

  私が中学生の時、Taylor Swiftが流行った。「22」は給食BGMの人気ナンバーだった。「22」をBGMに給食を食べながら己の22歳を想像した人は教室にたくさんいたはずだ。あの教室の中でこんな22歳を想像した人はいただろうか。否、皆キラッキラの22歳を夢見ていた。あのMVのラストのようにプールに飛び込んでみるのもいいと思っていた。実際に訪れた22歳は「crowded」が禁止されてただただ「lonely」だった。

  意味がわからん人生である。中学生の時に最高の22歳を想像しておいて、結局何も叶わないなんて。叶わないどころか、普通の学生生活ですら全うできなかったなんて。世間は「修学旅行が中止になった小中高生が可哀想」というが、私に言わせてみれば修学旅行なんてあんなもん行かなくてよい。クラス内で無理矢理作らされた大して仲良くもないグループのメンバーと回るディズニーやUSJなんて。それよりも、もっと自由で開放的で、もっともっと最&高になったはずの1998年生まれの青春を憂いて欲しい。

  取りやめになったのは卒業旅行だけじゃない。サークルの合宿も卒業ライブもパー。留学先から帰国した友達もたくさんいた。留学自体が取り消しになった友達もたくさんたくさんいた。ユーザーネームの末に「1998」が付いた同級生の休学届取り消しストーリーをいくつ見たと思ってるんだ。辛い悲しい悔しいどころの話じゃない。

  2020年上半期は何とか希望を持てていて非日常を楽しむ余裕があったが、サークルの夏合宿がキャンセルされたあたりから同期は卒業ライブと卒業旅行の話に触れなくなって、3月にヌルッと卒業した。

  先送りした楽しみは絶対に訪れないし我慢が必ず報われるわけない。

  意図せずして得た教訓は私を強くした。やりたい放題やってやる。もう誰にも私の夢の邪魔はさせない。だから私は普通に就職するのを辞めた。「この歳になっても実家暮らしなんて」うるせえ。「親が泣くぞ」うるせえ。「あとで絶対に後悔する」うるせえ。私はどんなに歳を重ねても夢見ることを恐れたりしない。後悔するかもしれない、年老いて寂しくなるかもしれない。でもそれはその時である。今の私はやりたいことを今の私ができる範囲でやるだけだ。

  10代の時のような純粋さも情熱も素直さも、もうここにない。30代40代のように豊富な知識や経験も、まだここにはない。だが私は誇り高き寅年1998年生まれだ。今は20代特有の自由を身軽な体でぶん回して前進するのみである。

「すいません、コーヒーおかわり頂けますか?」
「はい、すぐお持ちしますね」

  4人組はみなコーヒーのおかわりをご所望である。同世代の好で規定量よりも気持ち分多めに4つのカップに注ぐ。ちょっとだけ、私からのエール。

  コーヒーは渋い。黒くて苦くて、でも魅惑的な香りが万人を惹きつける。

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