ときどき、フイルム。ロモグラフィー編
フイルムで撮る時に、
“あと残り〇枚だから、ちゃんと撮りたいものを撮らないと!”
という気持ちと
“あと残り〇枚だから、早く撮り終えて現像出さないと!”
という思いが入り混じる。
それでもやはり貴重な(高価な)1枚だと思っているからでしょうか?
現像から帰った写真を見直すと撮った時の気持ちがちゃんと蘇ってくるから不思議だ。
…デジタルでもそんな気持ちで撮影できればいいのだが。
遥か大昔、小学生だった僕は周りの大人が使っているコンパクトカメラ(もちろんフイルム)に興味津々だった。
たまに触らせてもらったり撮らせてもらったりしたけれど、現像から帰ったきた、何を撮ったのか全く意味不明な写真の“山”に母親が切れてしまい、それっきり二度と撮らせてもらえなかった。
『おかしいな。あの枝(10mほど先)にスズメが止まっていたのに』
『あの時見えた風景はもっと雄大だったのに』
いまならわかるけれど、その時の“なぜ”はいまだに思い出すことがある。
それを写真の原体験と言っていいのかわからないけれど、それ以後自分のカメラを持とうという思いを抱くことはなく、結局子供というわかりやすい被写体を得るまで僕とカメラの距離は遠いものだった。
さて、Lomography Color Negative 100というフイルムをナチュラクラシカに装填したのは、2023年の秋でした。
約半年かけて37枚を撮り終えたことになる。
ナチュラクラシカのように、簡単にそしてきれいに写してくれるカメラだけで小さな旅ができれば楽ちんなのにと思うが、いかんせんフイルムにかかるコストが、ね。
キハ40系を追いかけて鳥取に行った時にも持ってたんだなあと思い出す。
両親が昔旅した場所を再びたどる旅
2024年は、和歌山に2度行った。
今回載せていない写真の中に、なんでこんなの撮った?っていうのが数枚。
子供の頃から変わってねえなあ(笑)