【随想】法曹サービスの量と質

 ロースクール、ひいては法曹養成制度の見直しの中で、常に意識されながら、いまいちその本質が見えてこないのが、法曹人口の問題である。いや、平成24年現在、弁護士は32,134人、裁判官は2,880人、検察官は1,810人で、合計で36,824人と、いわゆる法曹三者の人口の数値的な現実はその推移も含め、むしろよくわかっている。
 よく見えないのは、この数値を「どう捉えるべきか」、そして「何をするべきか」である。これは、かつての司法改革の際も、いまの見直しの際も変わっていないように思う。
 まず、法曹人口の多寡に対する認識からして、かつてと今とではまったく違っている。司法改革前、これからの法曹需要に対する法曹人口の不足可能性がしばしば指摘されていた。だから、司法試験の段階ではなく、より早期の法曹養成段階で、法曹増加への要請に対応することが求められたのである。しかし、現在はその逆で、不足どころか過剰が問題である。
 この原因は、いったい何に求めるべきだろうか?かつての「見込み」が、この10年ほどで一気に収縮してしまったというのだろうか?それとも、この「見込み」がそもそも間違っていたのだろうか?真の見直しは、政策判断のもととなった認識の検証から、始められなければならないはずである。
 ところが、法曹人口が過剰と見るや、今度はその減少に向けて安易に舵が切られる。そして、批判の矛先は、品質に向かう。司法試験の合格者を増やし、法曹人口を増加させたから質が低下したといわれる。マスコミも、まだ実務にも出ていない司法修習生たちの試験(いわゆる「二回試験」)結果を「質の低下」の代理指標といわんばかりだ。
 どこの誰が、法曹サービスの品質を、試験時の学力で決めようというのか?高い品質の法曹サービスは、知識を豊富に持っている(覚えられる)ことが重要なのではない。重要なのは、利用者の意向に真摯に耳を傾け、彼らの問題を法的な知識を使って適切に解決する能力ではないのか?
 法曹サービスの品質は、このサービスの需要者である利用者(一般消費者や企業)から見ての評価でなければならない。われわれの評価以前に、真に適性のある法曹の出現が妨げられることの方が悲しいことのように思うのだが(2014年1月8日記)。

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