【随想】成年後見制度を考える#1−わが家が迎えた高齢化問題(1/6)

 私事で恐縮ながら、わが家も、というかわたしも、高齢化の問題に真摯に向き合わなければならない、そのようなライフステージを迎えたようである。
 ここ数年、郷里に住む高齢の両親が体調を崩し、しばしば入退院を繰り返している。
 80代なかばを過ぎた父は、10年ほど前に脳梗塞で倒れたものの、右つま先に若干の不自由さが残る程度で一旦は回復し、折からの高血圧を薬で抑えつつ、70代なかばになる母と静かに過ごしていた。しかし、ここ数年、体力の衰えが著しく、これとあわせて徐々にではあるが、認知症の症状が現れるようになっていった。
 他方、母は、折からの糖尿病に加え、心臓を患い、2年前と昨年末に2度の手術をするなど、ここにきて入退院を繰り返している。手術後、母は自分の身の回りのことは、なんとかできるようになったようにも見え、定期的なヘルパーの訪問と週に一度のデイサービスを受けつつ、現在、一人で生活をしている。
 母が1回目の心臓の手術を受け入院したとき、父は、近くに住む弟夫婦に食事の面倒を見てもらいながら、生活することができていたが、母の退院のころには、1人でソファから立ち上がることも、自ら用を足すことも困難になってしまった。そして、それからほどなく、痴呆の症状もあらわれ、癌も疑われたことから、病院に入院することとなった。
 両親が、時を同じくして、さまざまな医療サービスや福祉サービスを利用するようになり、最初のうちは、都度必要な医療費などはわたしが負担していた。しかし、わが家の台所事情も、やがて義務教育を終える子どもたちへの出費が予想され、湯水のごとく捻出しつづけることは難しい。これから両親にかかるであろうさまざまな出費を考えると、きちんと整理しておく必要がある。
 もちろん、最終的には多少の負担は覚悟するものの、父の医療費は父の口座から、母のものは母のからが原則である。しかしである。両親の預貯金通帳を確かめることはできるものの、実際に口座に手を付けようとすると、それは本人でなければ動かせないのである(2019年3月5日記)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?