【随想】萎縮効果

 ここ数年、企業に対する規制を考えていくときにしばしば現われ、あたかも当然あるかのように振る舞う不可思議な言葉がある。「萎縮効果」である。
 先日も、ある行政官庁から出されたガイドライン案に対する意見招請(パブリックコメント)があり、その検討をしていたときにもやはり出ていたこの言葉。
 そもそも行政機関が公表するガイドラインは、その法律の運用にあたっての解釈の方向性を示す指針のこと。わが国では、法律の最終的な解釈を示すのは裁判所だから、とりあえずの方向性を示すものにすぎない。
 しかし、実際にビジネスに携わる企業にとっては、ガイドラインはかなり重要な意味を持ってくる。というのも、一般に法律というものは抽象的で、ビジネスで日々直面する案件について判断を下すには実務家を持ってしてもやや不安があり、しかも、最近では経済事案に対する制裁も重くなってきているので、判断を誤ると会社に大きな損害をもたらすことになりかねないからである。だから、企業としては、「具体的な事例を示してその法律の内容や狙いを明確に知らせてほしい」と、こんな理由でガイドラインが重宝がられ行政庁はこれを乱発する。
 確かにガイドラインが存在せず、法の解釈運用がもっぱら裁判所にいかなければ確定しないと言うのでは、スピードが要求されるビジネスの立場からすれば、とても困る。たぶん企業の自由な事業活動も制限されることになるかもしれない。これが「萎縮効果」である。こうしてみると、ガイドラインが「萎縮効果」について触れることは至極当然で、まさにガイドラインは萎縮効果を減少させるためにあるといっても過言ではない。
 確かに一見もっともな理屈です。
 けれども、規制が強化されたり、規制の対象が不明確であったことから企業活動が萎縮し、その結果、わが国の企業活動が停滞したという話はどれくらい本当なのだろうか?
 最近、わたしは、企業の意思決定の現場に立ち会うことがおりに触れありますが、そこで感じるのは、企業は規制の強弱や明瞭不明瞭で重要な経営的判断を思いとどまることはないということである。規制や法務的リスクは、健全な法務と経営層によって慎重に見極められ、リスクとその先にある利益とを踏まえ総合的に判断される。それこそが経営判断だといえる。
 だとすれば、行政当局が必要以上に「萎縮効果」に言及するのは、企業の活動に気兼ねをしているようにも見えてきます。ことさらに「萎縮効果」が強調されるのは、どうしてなのだろうか?それは、ガイドラインの策定に(責任を回避する)脆弱な法務部門の意向が強く配慮され、経営層の意見が通らなくなったことの証左ではないかと邪推している(2009年9月5日記)。

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