【読書雑記】井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(毎日新聞出版、2015年)

 つい先ごろ、週刊ダイヤモンド(2017年11月18日号)で「右派左派:ねじれで読み解く企業・経済・政治・大学」の特集を見た。たしかに右派・左派は両派とも主張の歴史的な推移もあり、一筋縄ではいかない「ねじれ」がそこかしこに組み込まれている。右派とは、右翼なのか?保守なのか?では、左派とは左翼なのか?かつて存在した革新か?はたまたリベラルのことか?
 先般の選挙で、池上彰氏が面白いことを言っていた。「リベラルとは左翼と呼ばれたくない人の自称である」。いや、左派・リベラルの受け皿と目されていた立憲民主党の枝野代表は、自らを保守だと言っている。右派・左派の認識は、世代によっても違うらしい。最近の調査では、多くの10代から20代の若い人にとって保守とは共産党なのだそうだ。保守とは字義どおり変わらず何かを守っていることだとすれば、それも一理ある。いずれにせよ、いま右派・左派の差異は混迷を深めている。わが国の場合は、これに加え、護憲という斜め上を行くファクターもある。
 こんなとき、わたしは古典にかえる。さしずめ保守を読み直すには、バークの『フランス革命に関する省察』あたりからはじめるか?ハイエクもいいかもしれない。
 では、リベラルはどうだろう。時代は下って、ロールズの『正義論』か?いや、ここではリベラルの理論的バックボーンでありながら、後に変節するロールズをリベラリズムの立場から徹底批判する井上達夫氏の著書を読んでおきたい。80年代・90年代の『共生の作法』や『他者への自由』に代表される硬派な哲学書もエキサイティングだが、対話形式による一般向けのこの本は、ねじれきったリベラリズムの哲学上の位置づけを解きほぐしてくれるというより、一つの確固たる筋道を示してくれるという感じだ。しかも、リベラリズムが、現実問題をどうみるかという視座をも提供してくれる。
 かつて、大学院修士一年のとき、井上達夫氏の法哲学演習を受講した。『これから正義の話をしよう』で有名なコミュニタリアンのマイケル=サンデルの著書を読み議論する授業だった。そこでは、リベラリズムの観点からサンデル氏を批判する井上氏の姿が印象に残っている。時折、学部の講義も聞きに行った。小さなハンドアウトを配るだけで、あとは台本なき講義。思考の現場に居合わせる喜びを感じさせてくれる授業だった。
 タイトルも皮肉がきいている。元AKB48の前田敦子の名言(!?)をリベラル・リベラリズムに置き換えるとは!この本は、まさにリベラリズムを危機においやったリベラルの欺瞞を徹底的に糾弾し、その上でリベラリズムを再定位する井上法哲学のエッセンスがぎゅっと詰めこまれたやさしき入門書である(2017年11月27日記)。

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