【随想】「消費者市民社会」ってなんだ!?#5−コンシューマー・シティズンシップを改めて意義づける(5/5)

 少しおおげさなようだが、「コンシューマー・シティズンシップ(consumer citizenship)」を「消費者市民社会」と訳したところに問題の根本があるように思えてならない。
 くだんの消費者教育推進法は、消費者教育を通じて、消費者市民社会の形成・発展に参画・寄与する人材の育成を目的としている(同法3条2項参照)。もとより人材の育成が教育の理念であり目的であることは、誰も疑いようがない。教育基本法(平成18年法律120号)も、教育の目的は、まず「人格の完成を目指し」、そして「平和で民主的な国家及び社会の形成者」として必要な資質を備えた……国民を育成することとしている(同法1条)。
 消費者教育推進法に対するわたしの違和感は、教育の理念ないし目的として、ある特定の社会のありよう(ここでは「消費者市民社会」)を規範型としてこれをモデル化している点である。たしかに、一見、「消費者市民社会」は、文言上・定義上、望ましい社会といえるかもしれない。だが、ある特定の社会のありようを法律で定義までして定めたことがこれまでにあっただろうか?この点、教育基本法のいう「平和で民主的な国家及び社会」は「消費者市民社会」とは異なり、多くの国民が共有しうる定義などで確認の必要がないほどの自明の原理なのである。つまり、教育が目指すところの社会というものは、自明の原理によって国民に共有されるがゆえに、法律との関係では、あえて定義など求められず、したがって明示することさえも必要とされない。
 他方、教育の目的は、教育基本法で見たように、まず第一に「人格の形成」である。つまり、教育は、個人ないし個々の主体に向けられたものである点を確認しておく必要がある。そのことは、同法が第2条で掲げている「教育の目標」がいずれも個人もしくは国民に向けられていることからも明らかである。しかも、中身を検討すれば分かることであるが、ここで掲げられているのは、いずれも公教育の理念たるシティズンシップ(citizenship)の涵養のカタログである。その意味で、公教育に対するシティズンシップと同様、消費者教育の理念に、コンシューマー・シティズンシップ(consumer citizenship)の育成を置くのは、内容の是非はともかくとして、きわめて自然なことである。
 英語ゆえ「消費者市民社会」ほどには、カタカナことばとしていまいち慣れないことばであるが、教育の理念として、いま一度「コンシューマー・シティズンシップ(consumer citizenship)」について考えてみなければならない。適当な訳を見つけて悦に入るのではなく、消費者をシティズンシップ(citizenship)と関連づけて、自分なりに理解することが必要である。それが、すでにできてしまった法律を上滑りさせず、われわれ消費者のものとして新たに意義づけるチャンスとなるのではないか、そう考えるからである(2015年8月5日記)。

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