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制作における学びの必要性

急に、いかに自分は非文化的な生活をしてるかを知らしめられて苦しい。そんな水曜の夜。

今日は母の用意してくれたおかずをお弁当箱に詰め、履歴書を書いたのちにお弁当を食べ、面接に行って、母と台湾料理屋さんでおかゆと混ぜ麺を食べてから歩いて家に帰った。

比較的シンプルで動的な日ではあったが、私は肝心なことが最近できていない。それは自分の制作と向き合うことにある。

私は版画工房に所属しているが、写真を作品として制作を行っている。故に人よりも手作業が少なく簡単に作品を量産できる。
だからこそ難しいのは自分の中で構築された作品の意図をどう形に表すかである。

制作についてはまず興味を持った事柄を撮りためることから始まる。そして、それに対して何故興味を持ったかという問いに対して答えを導き出す為に同じようなものをまた撮り重ねて行く。
その夥しい数の写真から取捨選択をして、展示方法や出力方法を考え作品を構築して行く。

この作業に一貫して必要なのは自分の中の引き出しである。だからこそ沢山の価値観に触れて、自分の見せ方を知る必要がある。
そして、一つ一つの事柄に理由をもって接しなければならない。

自分の中にあるものでなければ製作できないのは作品が薄っぺらくなるからである。自分の持っている価値観が人には無いものだとしても、それが自分の正しいと思うものなら滲み出るくらいに出したほうがいい。それが作品である。

私は制作も手付かずだし、制作の根底にもある、価値観を育むことも全くできていない。もっと本を読んで、もっと美術館やギャラリーにいって学ばなければ...
明日は学ぶ機会を増やそうと思う。

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