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自分が自分らしくあればいいと言われるからそうすることは結局他人軸、でもそれが自分らしい気もする

私はロマンティックラブイデオロギーに対して疑念を抱いていた。恋愛なんて一時的な性欲で、一生涯を共に歩む相手を決断するなんて間違っている。もっと合理的な方法で決めるべきだと思っていた。

しかし、今の恋人が出来てからというもの、そんな主張をしていたのが嘘みたいに、どっぷりと恋愛をしている。日ごとに脳みそが溶け腐る一方で、一週間離れていただけで寂しがって、会えた日にはつい自分のわがままで恋人の家に連泊してしまう。私は欲に忠実だ。

少し前までは、交際相手ができたらその人のことをパートナーと呼ぼう!と思っていたが、パートナーなんて生涯の相手みたいな呼び方したら重く思われないかと不安で、恋人と心の中で呼んでいる。ちゃんと愛情表現をしてくれているのに、まだなんだか自分が一方的に想いを寄せてるみたいな気持ちになる時があるためだ。

現代で理想とされる若者像は、自分軸で生きるということに価値を置いている気がするが、私はそうはなれない。私は三姉妹の末っ子なので、いつも今いる自分の立ち位置で周りを見渡して自分のすべきことを考えてきた。だからこそ状況を見ず自分から行動を決断することは出来ない。
そういうことで、私はどうしたら恋人が自分をずっと好きでいてくれるかばかり考えてしまう。そんな自分が平成生まれのダサいJpopの歌詞みたいで嫌になる。でも、昔自分が良くない時に通っていた精神科医が言ってた様に、「相手の意図と自分の主張の折衷案を考えて」生きなければならない。合理的解決はそこにある。

まず恋人は変化を好む趣向にある。私は恋人がショートカットが好きということでショートにしたが、そこまで喜ばれなかった。それは自分が元々ショートボブだったことが大きいのかもしれない。男性はショートボブとショートカットを同じものだと思っているのだろうか。
なので髪型もこれから伸ばそうと思うし、服装もなるべく色んなものを着てみようと思う。その点はあまり自分の好きなジャンルが特にないことが利点となっている。

次に、恋人は家事の中で料理だけはあまりしていない。恋人の家には料理する環境は整っているのにする暇がないらしい。なので今年度から料理教室に通うことにした。3月の終わりに入会したがバタバタしていてまだ一度も行っていない。そろそろ行かねば。
まぁ料理はできるに越したことはないし、自分は料理作りにコンプレックスを持っていたからちょうどよかったかもしれない。彼は買い物も先導して一緒に行ってくれるし、なんでも美味しいと言ってくれる。こんな出来た人はいないと思う。

更に恋人は自立した人を好んでいる。これは恋人に限らずだろうが、色々な拠り所がある人の方が気持ちに余裕があって良い関係性を構築しやすい。依存しない関係性だ。彼にはいわゆるメンヘラっぽい女性と関わって嫌な思い出をしたらしく、彼と一緒でなくとも社会的に健康的である方が良いらしい。
だからこそ私は今自分がすべきことをこなさなければならない。そして社会的な役割を持たなければならないと感じる。彼ベースで考えることをやめて、自分の将来のことをもっと確実なものにしなければならない。
でもこんなことを考えている時点で彼が私の中心になってるのは確かだ。だからいかにそれをバレないで自分がしたいことをしてる風を装うか、を考えて実行したい。

恋人が出来てから自分はとても良くなったと思う。朝起きて1日が始まることに前ほど残念に思わなくなったし、会う為に何でも頑張れる様になった。人とのコミュニケーションもとりやすくなったし、毎日が楽しい。

この一年やっぱり家族と離れてとても寂しかったことが大きい。祖母が亡くなったのを聞いた時、誰かそばにいて欲しかった。そういう気持ちをちゃんと埋めてくれる彼にはすごく感謝したいし、できれば長く一緒に居られれば嬉しい。でも今の自分がその願望をもつことは烏滸がましく感じる。(これでおこがましいって読むの初めて知った。簡単に変換できるからって自分を賢く見せかけるの恥ずい行為だと思う、すみません。)

これはエゴであり、見当違いかもしれないけど、自分が自分のままで成長することで、彼といい関係が築けることがすごくありがたい。根本的に変わる必要がなく、ただありのままを受け入れてもらえることがこんなに救われることだとは思わなかった。
私も彼を幸せに出来る様にもっと努力したいし、それは自分のためでもある。
もう少し自分は目の前の欲に身を任せず、自己実現のためにセーブして、これから更に彼といい関係を築いていきたいと思う。

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