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親とSM

私がSMのM役に目覚めたのは、高校生のときだった。当時の私にとって、SMと性的興奮はあまり結びついていなかったように思う。ゾクゾクするという感覚に惹かれ、SMにのめり込んだ。だけれど今思うとそのゾクゾクは、自分のトラウマという傷をなぞったことによる一種の拒絶反応に近いものだったに違いない。

幼少期の頃から私は虐待を受けていた。2日に一回、5時間〜8時間正座をさせられ、家族間で監視され、脅された。

もう一度SMを通じて、土下座をして自分の存在を蔑ろにすることで見事にトラウマを再現した。だから性的快感と最初は結びつかなかった。ただただ泣くための、自分の環境を悲観するための道具としてSMを使っていた。あとは、子供の頃の自分が貰えなかった「大丈夫だよ」とか「頑張ったね」で自分を癒そうとしたのかもしれない。

こんなことを思い出したのは、マゾが「自傷行為のようにSMをする人がいますよね。あれはんだかなって思うんです」と今日話していたから。私もそう思うけど、昔自分がそうだったから、そのSMのあり方を真っ向から否定することができない。

当時の自分は、泣くこともできなかったから、SMがなかったら、ダムを決壊させることはできなかったため、きっと自分の感情の濁流に飲まれて死んでいた。

泣くことができないではなく、泣き切ることができなかったに訂正したい。泣いても泣いても足りないぐらいに、思春期が終わる頃には私の心は憔悴していた。

さっき出てきたマゾは子持ちで、二人のお子さんがいる。育児も必死にやってきたのを知っているから、よく子供の話になる。私がMだったことも、虐待も受けていた事も知らない。

今日はプレイをたくさん楽しんで、二人で上機嫌に帰ってきた。最後に駅に送ってもらう最中にこんな話をした。

「私ね、親ってすごいと思うの。子供をかわいいと思えない瞬間とかいっぱいあるだろうに、その瞬間に手をあげずに世話を続けるって生半可なことじゃないと思う」

「反復練習ですよ。僕も子供をベランダから放り投げようと思ったことなんて一度や二度じゃないです。だけれどその度に、自制して、育児に徹するんです。そうして子供と一緒に親も強くなっていくんでしょうね。なんて」

あんなに子供をかわいいと日頃から言うマゾでも、そこまで子供を思うことがあるんだとびっくりした。

なら、うちの親は「強くなれなかった人」なんだなってふと考えた。

自分のSMが今は180度変わり、もうM役として泣きたいと思うことはないし、逆にMをコントロールすることに徹している。子供の頃から、人の苦しむ姿を想像するのが好きだったこともあり、いまは苦しんでいる男性を見るととても興奮するようになった。

このマゾのセーフワードは子供の名前にしている。試しに電流を何段階か流し、セーフワードを言う練習をさせたけど、死ぬほど興奮する。いやだね、未だにこんな心をぐちゃぐちゃにさせるようなSMをしてしまうなんて。

やってはいけないとわかっていたから、最初はポップコーンだなんてセーフワードにしてみたけど、「実は子供の名前にさせようかと思った」と私が話すと「いいですよそうしましょう」と即答で返された。

今日は自分が原点と交わったような、交わらず平行線を進んでいるような、親とSMについて考える機会を持たされた。正解も着地点もまだわからない。

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