水を受けとり大地に流す:天秤座新月 2020.10.17
こんにちは、iです。
秋雨の季節ですね。
私は秋雨、わりと好きです。何だか雨の匂いも澄んでいて、それでいてぎゅっと濃縮されている感じがするのです。
さて、10月17日(土)04:32頃に、天秤座で新月が起こります。新月のお話をする前に、今回は天秤座の神話を紐解いてみたいと思います。
天秤座の天秤は、神話に登場する女神アストライアの持ち物だったと伝えられています。
ギリシャ神話やローマ神話では、人類は平和で美しい場所で暮らしていた黄金時代から、5つの時代を経て争いや騙し合いをするようになり堕落していったそうです。
女神アストライアはそんな人間の魂を天秤で測り、悪に傾いた魂は地獄に送ったのだとか。裁きの女神でもあるのですね。
そんな厳しさも持つアストライアですが、神々が人類を見放して次々と天に帰る中、アストライアだけは最後まで人間を信じ、「正義の天秤」を手に地上に残っていたそうです。
私はこの神話を読んだときに、いつもちょっと引っかかりを感じるのです。アストライアが持っていたのは、本当に魂を裁くための「正義の天秤」だったのだろうかと。
正義を広辞苑で引いてみたところ、①正しいすじみち。人がふみ行うべき正しい道。とありました。
そして、正義の対義語は「不義」、①義にそむくこと。道にはずれること。悪逆なこと。とあります。
何だか堅苦しいですね。進んで「裁かれたい!」と思う人がいないように(笑)、「正義の天秤」って何となく一方的に支配されているような気分になる言葉です。「自分は生まれてこのかた100%正義の道を進んできた自信があります!」という人はきっとこの世にいないでしょう。
「審判の時」というのは様々な神話宗教に登場する概念ですが、人間はその審判で地獄に落とされるのを恐れるがゆえに、善行を積むというシステムのようです。
わかるんですけど、何となく「うーーーん」となってしまう。しっくりこない感じがあるんです。
神話は、人間が体験したことを、人間が語り継いできたもの。地上に生まれた人間が、夜空を見上げながら編み上げた物語。
その視点を、もう少し星々に近いところに持っていったらどうでしょうか。
人間は月面着陸したと言われていますから、月くらいの視点まで持ちあげてみると、どう見えるのか。
人間の争いなんかはもう見えません。丸くて青い地球があって、彼方を見れば太陽があるでしょう。太陽は恒星エネルギーで内側から輝いています。そして月はその光を鏡のように反射して、地球へと送り届けています。
中国には古くから、陰陽の概念というものがあります。
それを占星術に当てはめると、太陽は「陽」、そして月は「陰」です。太陽と対にするなら月は「太陰」ですね。
現代でも「太陽」という言葉は当たり前に使われていますが、昔は「太陰」という言葉も普通に使われていたのではないでしょうか。太陽暦、太陰暦など暦にも表れていますよね。
人間の視点では、陰陽は「善悪」や「正誤」など対立する価値観に結び付けがちです。
しかし、自然を見れば「太陽」は「太陰」である月に光を届けて地球に送っています。男がいれば女がいるように、右手があれば左手があるように、それらは対立するものでなく、本来は共に生き、協力するためにあるのだと思います。
太陽が光や熱を「発する」ものであれば、太陰である月はそれを「受け取り」「地球へ届けている」存在です。
発するものがいれば、受け取るものがいる。受け取ったものがあれば、それを醸成して新しいものに変え、再び発する。どちらが欠けても、今の地球は成り立っていない。陰陽が調和的に循環しているから、私たちは地上で生活することができます。
だから私は、アストライアが持っていたのは「裁くための天秤」ではなかったんじゃないかと思うんです。
それぞれの人の中にある「陰陽」が、調和するポイントを探しなさい。
そんなことを伝えるためにアストライアは最後まで地上に残っていたのではないかなと、思ったりします。
神話や宗教は人間が作ったもの。失楽園はじめ、そこに描かれている「陰」の存在は、わりと悪者扱いされています。でもたぶん、それは人間が作った物語だからだと思うんです。
ではどうして陰が悪者扱いされるのか。
それは、月が鏡だからです。太陽の光を反射するのと同じように、月は私たちの心を反射するもの。
月は夜に輝きます。夜の世界は、人間の心の闇を映し出す時間。昔は盗みなどの犯罪は夜に行われることが多かったそうです。今ほど夜が明るくなかった時代、闇に紛れて悪事が横行していたのでしょう。だから、夜は穏やかな休息の時であると共に、恐怖の時間でもあった。
個人的には、占星術の天体の中でも「月」は一番扱いが難しいもののように思います。それはやはり、月が自分の心をくまなく反射するから。エゴや弱さ、慢心があれば、それもきれいに反射してはね返してきます。
心理学でいえば、シャドウでしょうか。シャドウは自分の心の暗黒面。だから、シャドウを認めることは難しい。でも、それを認めていくことで「陰」は「太陰」になっていくのかもしれません。
つまり本来はどちらの性質も人間は兼ね備えていて、陰陽を偏りなく使うことが大事なのではないでしょうか。
受けとることと、発すること。どちらに偏りすぎてもバランスを崩します。
私も毎日文章を書いていると、「枯渇した!」と感じることがよくあります。そうなったら本を読んだり映画を見たり、音楽を聴いたり人と話したりして「受け取る行為」をたくさんします。アウトプットしたらインプットしないと、どこかでバランスが崩れていきます。
天秤座の神話は、そうした「陰陽の調和」を本質的には伝えてくれているのではないかと思いました。
さて、どうして天秤座の神話を長々とお話したかというと、今回の天秤座新月の位置が、「受け取る場所」にあるからです。
前回の牡羊座満月では「古いサイクルに区切りをつけて、春から育ててきた新しいサイクルに向かうとき」。振り返るとそんな印象がありました。
新しいサイクルに入る時、それはきっと未知の世界です。
地図すらないかもしれません。
それを引き受けて、今回の天秤座新月では「インスピレーションを受けとること」が強調されています。新しいサイクルに向かうための指針が、どこかからもたらされるとき。
そのために、冥王星が山羊座における「負けの美学」を教えてくれています。
「陽」が礼賛される時代において、「陰」は負けることと捉えられがちです。でも、北極があれば南極があるように、どちらが欠けても地球は成り立ちません。
自分が言いたいことばかり言っていたら、そのうち誰も耳を貸してくれなくなります。逆に受け入れるばかりで自分の意見を伝えなかったら、それはそれで物事が発展しません。
これまで「陽」ばかり使っていた人は、「陰」の受容の力を使う事は「負けではない」ことを知るとき。
これまで「陰」ばかり使ってきた人は、「陽」の発信の力を使う事に「引け目」を感じることはないのだと知るとき。
そうすることで、陰陽を楽しく使えるようになっていく気がするのです。
自分の中の陰陽が整って行くと、周囲の人とも協力的に物事を進められるようになる。シリアスな「審判の時」が、陰陽が作り出すリズムを感じて踊りだすような楽し気な雰囲気に変わっていきます。
太陽と月は互いにリズムを刻んでいて、「人間もリズムに合わせて楽しく踊ればいいのに」と思っているのかもしれませんね。
そんなふうに、陰陽のバランスが整ってちょっと視点を持ちあげた「新しいサイクル」の中で、どんなふうに歩いていけばいいのか。
そのためのインスピレーションがどこかからもたらされる新月。
それはきっと、女神の知恵のようなもの。アストライアが、天秤の先にある何かを示してくれている。そんな気がします。
受信アンテナを高くのばして、人との会話や、出来事、本や物語、色んなところにある「ヒント」をたくさん受け取る意識を持つと良さそうです。
そうして受け取ったものを自分の中で熟成して、今度は何を創っていこうかと模索する。引き受けた役割があれば、それをちゃんと実行していくためにはどうすればよいのかを探っていく。
そんな新月かなと思います。
そうした陰陽の反復でじっくりと熟成してきたものは、きっと水瓶座のガニメデスが持つ「みずがめ」に溜まっていくのです。そのみずがめに溜まった「水」は、時がくれば大地へと流されていきます。大地に流された水は、新しい流れをつくっていく。
風の時代の始まりである水瓶座時代に、私たちがどんな社会をつくり、どんなライフスタイルを形づくっていくのか。未来を見ることはできませんが、きっと「それまでに溜めてきた自分の人生体験」こそが、新しい水の流れをつくっていくのだろうと思います。
そんな印象を感じた天秤座新月でした!
天秤座新月が素敵なヒントをもたらしてくれるよう、お祈りしています。
それではまた!
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