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太陽を見つける:射手座新月【日食】2020.12.15


こんにちは、ⅰ です。
12月15日01:16頃、射手座で新月が起こります。今夜ですね。
今回の新月は日食です。

日食は月が太陽を隠す現象のことですが、太陽が隠れるというのは古来よりあまり良いこととは捉えられてこなかったようです。太陽信仰は世界各地で見られるものですが、そうした観点で見るとやはり日食は不安を煽るものだったのだろうなあと思います。

地球は太陽の周りを周る惑星であり、太陽は恒星です。
そうした関係性を見ても、地球にとって太陽は高次の存在ですよね。それが一瞬でも隠れてしまうというのは、太陽を神的なものとして考えた場合、神の力が一瞬消えるということになります。なるほどなあという感じです。

私は絵を見るのも描くのも好きなのですが、日食のことを考えている時期にたまたまルーベンスの絵を見ていたのですね。
するとフランダースの犬で有名な絵(三連祭壇画)の右上に、日食が描かれているのに気づきました。キリスト磔刑と日食は関連付けられているんですよね。なるほどなあと思います。

磔刑の逸話は別として、日食を不吉なものとするのは、太陽を「自分の外側にあるもの」として捉えているから出てくるものなのかなと感じました。
つまり、外側の現象の影響を受けとる側としての視点です。

でも、占星術をかじったことがある人ならどこかで聞いたことがあると思うのですが、「下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし」という言葉があります。
大宇宙と小宇宙はいつも連動して、互いに影響を与え合っているというものですね。
その観点から見ると、人間の中にも、太陽系、あるいはもっと外側にある恒星の世界までもが含まれていることになります。

例えば自分の中に太陽系があるとして、太陽を中心に自分の意識をフォーカスしたなら、日食とか月食とかあんまり関係なくなってくるんですよね。「今日は自分の光とか熱が地球には届きづらいなあ」くらいの感じです。

とは言っても、やはり物質的な肉体を持って地球上に住んでいる私たちにとっては影響があるのも事実。日食とか月食の記事を書いていることがその証拠です(笑)。
じゃあ日食を活かすにはどうしたら良いのかなあと考えることになります。

単純に、外側の太陽の影響が少なくなるなら、自分の内側の太陽を発見する良い機会になるんじゃないでしょうか。

占星術的には、出生図の太陽は創造性を表します。自分の人生を創造する力です。

太陽の力を受けとっているのが惑星や月【陰】だとしたら、太陽は創造という能動を表す【陽】ということになります。受け取る事にばかりフォーカスしていくと、内在する太陽を発揮することがどんどん難しくなっていきます。

なので、日食は内なる太陽にフォーカスする良い機会なのではないかと思います。
現代の生活は、あまりにも自分の小宇宙を探る瞑想的な時間が少ないと思うのですが、そういう時間を意識的につくると良いのではないでしょうか。
目を閉じて、視覚が遮断された世界では心が頼りです。
目を閉じるということは、強制的に心に集中することになります。
そこにどんなものが広がっているのか。
きっと、そこには内なる太陽があるはずなんです。

自分の太陽を地球上で発揮するには、まずそこから始めなくてはならないのかもしれません。

もう自分の中の太陽を地球でどう活かすかは分かってるんだよね、という人は、もうちょっと先に心を巡らせてみると良いのではないでしょうか。

太陽系の中心に自分が立ったときに見える風景。
天の川銀河の中心に自分が立ったときに見える風景。
宇宙の中心に自分が立ったときに見える風景。
きっと、意識の旅には終わりがありません。

小宇宙を旅することは、大宇宙を旅するのと同じこと、なのかもしれませんね。


今回は日食ということもあり、壮大なお話になりました。射手座日食なので余計でしょうか。

前回の月食がかなり「太陽の影響を受けとる側」にフォーカスした内容だったのに対し、今回の内容が太陽視点を取り戻そうとするものになったのも面白いですね。

最初はチャート読みをする気でいたのですが、日食についての話を広げた方がふさわしい気がしたので今回はチャート読みはしません。
細かな枝葉を書くよりも、根っこのお話をしたほうが良い気がしたのです。


そうそう、今もルーベンスの絵を見ながら思ったのですが、イエスは磔刑のあとに復活するんですよね。その復活とはどのような意味を持つのでしょう。

肉体を越えた領域に意識が移行していることを描いているような気がしてならないのですが、長く語り継がれているお話にはたくさんのヒントが隠されているなあと興味がつきません。階段を昇るためのヒントは世界中に隠されています。

人間として階段を昇るためのヒントが宗教や様々な信仰の経典に隠されているとしたら、その先の世界についてのヒントは神話に隠されていて、神話の先にあるものは宇宙法則につながっていく・・・とか考えていくと面白いです。それらはあくまでヒントですし、神話も宗教も人間視点の色んな欲得がこびりついているので、段階的に進まなくては見えないものなのかもなあと思うのですが。無理して飛び級しようとしても得るものはありません。

でも中には飛び級できる人も、きっといるんでしょうね。地球に生まれた目的は人それぞだと思うので。そういう人は、逆に宇宙からの階段を降りることもできるんだろうなあ、とか考えるとワクワクがとまりません。というか本来そうやって私たちは星から分かたれて降りてきたのかもしれませんよね。きっと私たちは、星の欠片です。

こんなふうに占星術は自分の座標をあちこちにポイントして物事を捉えられるツールだと思うのですが、そういうツール自体も人それぞれに合ったものがあるんだろうなと感じます。


良い新月をお過ごしください。
心の奥の星の光が、思い出せますように。

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