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藍色の空を飛んだ夜


あの感覚を何と説明したらいいのか、未だにわからない。

水中から飛びあがる時に、クジラやイルカはこんな風に感じているのだろうか。体を取り巻いているすべてのしがらみから解き放たれて、風に身を任せるような、そんな感覚。重力から解き放たれて、風船のように空へ浮かんでいく、そんな感覚。怖くはなくて、ただ不思議で新鮮だった。

これは体から意識が抜け出た最初の夜の話。

この頃私は人生の節目にいて、ひとつの役目を終えようとしていた。とにかくその日は忙しくて、まるで気を失うように目を瞑った瞬間のこと。

あ、なんか上に引っ張られている。

そう感じるが早いか私の意識はぐいっと体から引っこ抜かれて、どんどん高く浮かび上がって行った。



気づくと屋根をすり抜けて空高く舞い上がり、夜の街を見下ろしていた。夜の色は、深い深い藍色。夜空に瞬く星々のように、藍色の街に灯りがぽつぽつと灯っている。胸の奥がざわざわするような、景色だった。遠くに小高い丘が見えて、そこに生命力がぎゅっと凝縮されたように樹々がこんもりと繁っていた。こんな街は、知らない。私の住む街に丘はないし、こんなに生気の濃い森も存在しない。

なのにどうして懐かしい感じがするんだろう。

空気を蹴るようにして、丘を目指した。何故だかわからないけれど、私はそこにお社があることを知っている。灯りの燈る街から、丘のお社につながる一本の道があることを知っている。

風を切って進む。鳥はこんな心地で空を飛んでいるのだろうか。時折体の重さを感じたら、空を蹴ってバランスをとる。

これまでの私は生きることに必死だった。様々な責任が背中から圧し掛かって、常に息苦しくて、いつの間にか下ばかり向いていたのかもしれない。そんなふうに、あんまりにも地面ばかりに気を取られてきたせいか、人はこんなに軽やかに空を飛べるのだという事を忘れていたのだと、漠然と思った。

美しい街だった。

夜の色が、濁っていない。闇は黒くなくて、藍色だった。橙色の灯りは、家々の窓からもれる光。それは苦しさも悲しさもない、幸せなあたたかい色。

お社を目指して空を駆け上り、ふっと記憶が途絶える。

気づいたら、帰り道だった。丘を下って、街の様子を見ている。確かにお社へ向かったはずなのに、肝心のそこでの記憶はどこかへ行ってしまった。きっと、今はまだ思い出さない方がいいのかもしれない。

そんなことよりも、家々からは幸せの灯りがもれている。

特に大きな灯りがもれている窓を覗くと、そこはいとこ達の家だった。楽しそうに笑っていて、私に気づいて手を振ってくれる。やわらかく輝くように白くてきれいな笑顔だった。叔父と叔母もそばにいて、手を振ってくれた。なんだ、皆幸せそうじゃないか。そう安心したのを憶えている。

それからいくつかの領域を訪れ、そろそろ帰りたくなった。上手くは言えないが、どうも居過ぎたように感じたからだ。

もうひとつの体を思い出す。それは私の肉体で、肉体の手を動かせばたぶん帰れる。どうしてかわからないけれど、そんな確信があった。「意識の手」と重なり合っている「もうひとつの肉体の手」を動かすと、私と「もうひとつの私」がぴったりと合わさり、自然と体に戻って行った。



ふとんのやわらかさ、におい、暖かさを感じる。体の重みを感じる。紛れもなくいつもの世界だった。ぼんやりと明るい。そうだ、ベッドサイドのランプをつけたまま寝てしまったのだった。そうして、自分が目を瞑っていることに気づく。どうして目を閉じているのに、部屋の様子がこんなにもありありと見えるのだろう。私は、まだ現に辿り着いていないのだろうか。

いつの間にか、白い壁に小さな影がいくつも現れた。その影はこどものようで、純粋で楽し気な雰囲気が伝わってくる。みんな、手をつないで私を囲んでいるようだった。今にも踊りだしそうな、うきうきとした空気。彼らが私を空に連れ出してくれたのだろうか。たぶん、そうなんだろう。彼らのひとりが、私に何かを差し出している。何だろう。わからない。けれど、それは胸の中にすとんとおさまった。

不意にどこからかベルが鳴り、お別れの時間が来たのだと知る。

みんなが手を振ったので、私も振り返した。

バイバイ、またね、と。


美しくて、懐かしくて、愛おしいような、そんな夢だった。








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こんにちは、i です。

ずっと書きたかった、体外離脱のお話でした。

実は少し前に一度書いたのですが、なぜか自分の中でストップがかかり公開せずにいたのです。きっと、本質的なものが捉えきれていない文章だったのでしょうね。

夢か現か、その境目だったのか。

とても不思議な体験でした。ある日突然だったので、びっくりもしましたがどこか自然に受け入れている自分もいて。美しくて懐かしくてあたたかい街、風でした。

私の中ではとてもリアルな現実体験でしたが、夢物語として聞いてくださって大丈夫です。ちょっとしたファンタジーです。

この体験後、体外離脱って何なんだろうと色々と考えてはみたんですが、あんまり「意味」とか「方法論」とか定めない方が良い気がしたので、今はただ自分に起きていることを受け入れているだけです。

そう、たぶん「受け入れる」ことが、大切なのだろうと思います。

この世界には目に見える物質的な世界と、重なりあうようにして見えない世界が存在しているのかもしれません。そしてひょっとしたら、そのどちらにも「自分」は存在しているのかもしれない。

だとしたら、そのふたつの自分が重なり合って、いつかひとつに解けあう日が来るのだろうか。

難しいことはわかりません。ただ、そんな風に感じただけです。

途中に出てくるいとこたちは元気にやっていますが、叔父と叔母はすでに他界しています。でも、ある次元では家族で幸せに暮らしているということを感じて、ほっとしたのも印象的でした。夢の中では今も一緒に暮らしているのかなあ、なんて思ったりします。

文中にもすこし書きましたが、この頃の私は人生のある節目に辿り着いていました。ひとつの仕事を終える時期だったように思います。これから何をすればいいのだろうと、自問自答している頃でもありました。最後に出てくるこどもたちの影は、まだ次の仕事があるんだよと、私に教えてくれたようにも感じます。彼らから受け取ったものは・・・内緒です。


不思議な夢物語、夜長のお暇つぶしになれば嬉しいです。

それではまた!


i




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