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パンクロック直後の世代とクリエイション雑感

わたくしが小学生の頃、ご近所にギターを弾いているお兄さんがいて、バンド活動をやっているらしいという話を聞いていました。髪はツンツンに逆立っていて、レザーを着てて、タバコをくわえてかったるそうな感じで、ヤンキーとは違った感じの怖さというか凄みのある人でした。中学生になってセックス・ピストルズやザ・クラッシュなどのレコードを友人に聴かせてもらい、件の兄ちゃんみたいな人を「パンク」ということを知りました。ロックンロールをベースとしたストレートな楽曲に、ニヒリスティックな歌詞をがなり立てるスタイルは「面白いなー」と思っていたのですが、パンクロックが直撃したのは少し上の世代で、わたくしたちは「ポスト・パンク」と呼ばれ、後に「ニューウェーヴ」と呼ばれるスタイルの新しい音楽に魅了されました。
パンクはファッションの世界にも大きな爪痕を残しました。セックス・ピストルズが着ていたボンテージスーツはヴィヴィアン・ウエストウッドがデザインしたもので、メインストリームにあるものすべてを否定するパンクファッションが、VOGUEの紙面を飾るという、なんとも不思議なことが起こったりしていました。パリのモード界に閉塞感が漂っていた頃、当時、何か新しいことが起きていると感じるのはロンドンでした。ヴィヴィアンはマルコム・マクラーレンと運営していたキングスロードの店を「World's end」という名前に変え、「World's end」というブランドをスタートさせます。BOW WOW WOWやAdam and The antsの曲のヒットもあり、ヴィヴィアンのスタイルがロンドン発のストリートスタイルとして急速に認知されていきました。ヴィヴィアンとマルコムは当時黎明期を迎えたヒップホップをも取り込み、ユースカルチャー/カウンターカルチャーの大きなうねりの中心として存在感を高めていきます。
蛇足ながら、当時「黒の衝撃」と評された川久保玲のコム デ ギャルソンと山本耀司さんのヨウジヤマモトがパリデビューを果たしたのもおおよそこの頃です。当時わたくしは、パリとロンドンで「得体の知れない何か」が起こっている、と感じました。

特にモードの世界のことを書きたいわけではないのですが、パンク・ムーブメント直後とそれ以降の世界は、ものづくりの姿勢にも大きく変化を与えたと考えています。
パンクは破壊的なイメージがありますが、「NO FUTURE」と叫ぶ一方で、欲しいものは作るというDIYの精神がありました。ピストルズのジャケットデザインを手がけたジェイミー・リードは、誘拐犯が新聞の文字を切り貼りした脅迫文からヒントを得たタイポグラフィ作品を多く残し、当時多く発行されたパンク関連のファンジンは、パンクス自らが、さらにそれをクールなものとして手本とし、コラージュやコピー機を駆使してデザインされています。ここらへんのクリエイションは、当時出て来たネオ・モッズともかなり重なります。
DIY精神はファッションでも発揮され、買って来たものをそのまま着るのではなく、穴を開けたり、切ったりしてカスタマイズされ、縫い直されたり、スタッズや安全ピンでデコレーションしたり、という感じでした。ティーンエージャーの頃、少し上の世代の人がそういうことで個性を発揮しているのを、面白く見ていました。

大学に入り、デザイン教育を受けるようになってからも、そうしたパンク世代の基本姿勢の影響は大きかったと思います。わたくしにとって、初めて触ったMacintoshは、パンクスにとってのコピー機やスタッズ、安全ピンのようなものだったと考えています。変な言い方ですが、過去とはまったく違うスタイルを作り出すという点において、パンクやネオ・モッズ、ニューウェーヴの精神は、デザインにおけるモダニズムのようなものではないかと、わたくしはひそかに思っています。あんまり賛成してくれるひとはいませんが...。ただ、のちにネヴィル・ブロディが「FACE」誌で新しいタイポグラフィ表現を切り開いていきます。これも当時かなりモダンで、衝撃だったことを付け加えておきます。当時流行っていたポスト・モダンとも違い、ロシアのロドチェンコやリシツキーのような強さを備えたタイポグラフィは、とてつもなくモダンでした。彼の実験精神はのちの「FUSE」へと続きます。ブロディをはじめとするデザイナーたちがデザインした、見たこともないフォントがMacで使えるなんて!とワクワクしました。
その後、Webを作り始めるのですが、これこそDIYの極み、まさにWebこそわたくしにとってのパンク・ムーブメントでした。

追記:
「パンク」と一口に言ってもいろいろなスタイルがあるのですが、「Oi Punk」と呼ばれた「スキンヘッズ」界隈は、あまりそうしたクリエイティビティはなかったように思います。当時の人たちの話からもそれは聞いたことがあるのですが、UKではいつのまにか「スキンズ=フーリガン」「スキンズ=右翼」というイメージに変わっていきます。
「Bronski beat」という、ナイーブなファルセットボイスが特徴のゲイのバンドのスタイルがなぜかスキンズなのが気になっていますが、これについてはさっぱりわからないままです。
また、NYパンクシーンはそもそもアートスクールの学生が中心で、美術や文学方面にも波及していきます。Patti Smithのように音楽からポエトリー・リーディングへとスタイルを変えていったアーティストもいました。音楽的にも、ラモーンズみたいなド直球のパンクロックは逆に珍しかったような気がしますが、のちにDead Kennedysなどのハードコアパンクがアメリカから登場します。

追記2:
映画「helvetica」を見返していたら、Experimental Jetsetのひとが、「パンクはクリエイティブだ、一種のモダニズムだ」という趣旨の話をしていました。よっしゃ!

追記3:
今となってはトップブランドとなったコム デ ギャルソンの川久保玲ですが、スタイリストだった彼女が洋服を作り始めたきっかけは「欲しいと思う服が存在しないから作ることにした」ということだそうです。ちなみに川久保さんはヴィヴィアン・ウエストウッドとも親交があると言われ、両者に共通するのはタブーを超えてみせる姿勢と、本質的に自由を求めるというところだと考えています。

Webフォントサービスを片っ端から試してみたいですし、オンスクリーン組版ももっと探求していきたいです。もしサポートいただけるのでしたら、主にそのための費用とさせていただくつもりです。