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ストリートファッションとラグジュアリーストリート雑感

パンクについて書いた時に、ファッションにも触れたので、ファッションのことも知っている限りで書いてみようと思います。
モード界の台風の目と目されるデムナ・ヴァザリアが立ち上げたVETMENTS(彼の提案した襟をスカしたオーバーサイズのシャツは日本の某ファストファッションブランドが「襟抜き」と称してパクったのは記憶に新しいです)、そして彼がクリエイティブディレクターに就任して、急にむさ苦しく、もとい、ストリートっぽくなったBALENCIAGA、LOUIS VUITTONメンズのクリエイティブディレクターに就任したヴァージル・アブローのOFF-WHITE、少しヤンキーっぽいノリのゴーシャ・ラプチンスキーなど、ハイブランドが急にストリートファッションを強く意識したコレクションを発表するようになり、多くのブランドは「ラグジュアリーストリート」と呼ばれるスタイルを提案しています。モード界だけでなく、カウンターカルチャーやストリートカルチャーにもこれまで注視してきましたが、なぜだろう?と少し考え込んでおります。

そもそもストリートファッションとは何だろう、と考えると、50'sのテッズ、60'sのモッズ(スゥインギング・ロンドンと言われるノリも含めます)、70~80's初期のパンク、さらに70's~80'sアメリカのサーフ/スケートカルチャー、ヒップホップといった感じで、さらに80's〜90'sUKクラブカルチャー、原宿の奇抜な若者のファッションに到るまで含めると、もうカオスです。
ただ、それらの基調低音として言えるのがやはり「DIY」につきるのではないでしょうか。
現在、ハイブランドとストリートブランドとのコラボレーションが多く見られるようになりましたが、もともと両者は相容れない存在ともいえます。ストリートファッションは技巧を凝らしたハイブランドとは違い、Tシャツやパーカーといったカジュアルアイテムに、仲間内の絵心がある奴やデザインができる奴が思い思いのグラフィックやメッセージをシルクスクリーンでプリントし、自分の属するコミュニティの共通言語やアティチュードとして機能するようなもので、わかる人だけが街角でアイコンタクトしたり、振り返って「なあ、もしかして共通のダチがいたりするかもな」なんて話しかけたりするようなツールで、ある意味媒体のようなものでもありました。
(CLUB KINGが「T SHIRT AS A MEDIA」というプロジェクトをやっていましたが、さすが桑原茂一さん、わかってらっしゃる、と思ったものです)

ロックのバンドTシャツなどはわかりやすい例ですが、特にスケートカルチャーや一部のクラブカルチャーのファッションはそうした側面が強く、仲間を嗅ぎ分けるための手がかりのような役割も果たしていました。それはファッションシステムの外側に存在し、それを身につけることこそが、志向する/所属するカルチャーへの愛情の表明とステイタスのようなものでした。そのスタイルは、大きなシステムへ背を向けた者の意思表明のようなものであったりもします。それらは、例えば街角のタギングやグラフィティ、スケボーのデッキに描かれたグラフィックのようなものと通じるところがあります。
(プロを含め、スケーターの友人がいますが、彼らはファッションだけでなくボードのデッキのデザインやMAKEしてみせるテクニックに到るまで、表現のかたまりです)
それらは時にユーモアのあるパロディ的な表現で、メインストリームを剽窃するような表現のものもありました。
ですので、2000年頃にヴィトンのモノグラムのパロディアイテムをリリースして訴訟騒ぎになったシュプリームが、まさかのちにヴィトンとコラボレーションするなんて、当時は想像もつかなかったものです。
(そういえば、90年ぐらいにヒップホップ方面で、ハイブランドのロゴを真似たブートレッグ風Tシャツなんて流行ったりしていました)

ハイブランドがなぜストリートブランドとここまで接近し、ブランドロゴが入ったパーカやコーチジャケットを作るのか(そして、それを高価な価格で売るのか)考えてみると、いまクリエイションの中心にいる人々が、おそらくそうしたカルチャーで育ち、それらへの愛を表明しているというところではないでしょうか。また、自身が関わるブランドのストーリーに、そうしたカルチャーの熱を取り入れたいという戦略の現れでもあると思います。
それはある程度成功しているようで、ティーンエージャーの子たちがOFF-WHITEやGUCCIのTシャツに、まるで「休日のおじさんが履いているような」BALENCIAGAの「TRIPLE S」スニーカー(ダサ、いや、ストリートなノリのくせに12万ぐらいしやがります)を履いて、ハイブランドのショップでショッピングを楽しむ、なんて光景もみられるとか。個人的には行いもファッションもエレガントとは程遠いと思っているのですが、まあ、他人の財布なのであまり苦言を提するのはよします。
(とりあえずオシャレとかそういう表現ではなく、そういう子って「服装がこわい」という表現がしっくりきます)

エディ・スリマンがロックへの愛をDIOR HOMMEで、LAユースカルチャーへの愛をSAINT LAURENTで表明し、エディの後を継いでDIOR HOMMEを支えたクリス・ヴァン・アッシュがテクノ/レイブカルチャーをテーマにしたアイテムを発表し、LOUIS VUITTONのメンズで名をあげたキム・ジョーンズがオルタナティブシーンに属するブランドへのオファーを実現したということは、割と自然なことなのかもしれません。何かと物議をかもすデムナ・ヴァザリアが、値札をみると「えっ」と驚くような高額でブカブカのパーカやコーチジャケットをコレクションに加えるのも、おそらく同じ文脈ではないかと考えています。

自分を振り返ってみると、UKクラブカルチャーがカジュアルダウンへと向かい始めた頃に、わざととんがったブランドのスーツを着てVJをやっていたりしていました。薄暗いクラブの中はみんなニットキャップにグラフィックTシャツにダウンばっかりだったので、それに対する反抗というか、わたくしなりのスノビズムでした。単純にアナーキックのTシャツにダウンジャケットを着るよりも、ラングやマルジェラやギャルソンの服を着ていることが自分らしいと思っていただけとも言えるのですが、我ながらひねくれてたな〜、と思っています。
それと、エディ・スリマンが2000年にDIOR HOMMEを立ち上げた時に、圧倒的なクオリティと、性を超越したような、アンドロジナスな美しさを備えた、スラリとした細身のジャケットスタイルは新しい価値の誕生を感じてかなりのめり込みました。
それまでのメンズファッションは、基本的にマッチョイズム至上主義なところがありました。その一方で、痩せていて、割と若い頃は女性に間違われたりもしていたわたくしはエディのスタイルにかなり傾倒しました。何よりもみんなが「ちっちゃ!」と言ってた、細身のタイニーカラーシャツや美しいスモーキングジャケットが、まるであつらえたようにピッタリって、なんて素敵なんだろうと思いました。さらに、DIOR HOMMEには、今のエディ・スリマンがなくしてしまったパリ左岸の「リヴ・ゴーシュ」的なエスプリが漂っていました。2000年代のパリは独特の熱量がありました。PHOENIXのトマをはじめ、当事者たちはそのうねりを「Frenchness」と表現していました。あの時期のパリのクリエイションは、なんてエレガントだったんだろう!

そもそもどこの服も「サイズがでかい」と思っていましたし、幸いなことに今でも太ってはいませんので、今のルーズフィットなラグジュアリーストリートの潮流に乗る気は毛頭ありません。セリーヌのクリエイティブディレクターに就任したエディのコレクションを待ちたいと思いますが、前任のフィービー・ファイロの唯一無二とも言えるセンスには敬服していたので、少し複雑な気持ちです。

追記:
裏原宿?渋カジ?知りませんよそんなん。

Webフォントサービスを片っ端から試してみたいですし、オンスクリーン組版ももっと探求していきたいです。もしサポートいただけるのでしたら、主にそのための費用とさせていただくつもりです。