「男らしさ」から解放される為に - 太田啓子『これからの男の子たちへ』
僕は「男らしさ」に囚われていたのかもしれない。
その為の卒論と修士論文だったのかもしれない。
それに気づく為の3年間だったのかもしれない。
僕は来年から海外営業として半導体製造機械を売る。
社会人としての心構えやスキルを少しでも身につけたくて、たまにYouTubeでビジネス動画を見る。
最強の男になれ。
男なら~~~しろ。
営業職のビジネス動画でよく耳にする。
正直、自分の心の中でむかむかして、気持ち悪いという感情が沸き起こる。
動画を閉じることも頻繁にある。
アメリカの男性学研究者Michael Kimmelが、salesの仕事は自助的性格から男性的であるとされてきたって言ってたもんなって思い出す。
修士論文を執筆する中で登場人物の男性性に興味を持った。
研究の取っ掛かりとして、図書館で太田啓子さんの『これからの男の子たちへ―「男らしさ」から自由になるためのレッスン』という本を手に取った。
僕がずっと気になっていたこと、ずっと心の中でひっかかっていたことって男性性とか「男らしさ」だったんじゃないのか。
そう気づいた。
今回はこの本を読んで心に残ったことを簡単に記すnoteです。
「社会的につくられた性欲」、「えろい記号」
性欲って何なんやろ。
僕たちは社会で「えろい」と認識されているものに対して興奮するらしい。
実際に今のグラビアとかポルノと江戸時代の春画とかは描き方や強調する体の部位がまったく異なるらしい。
動物的に興奮する
勃起はえろい物を見たときの男性の本能
そういう言葉をよく耳にする。
生物学的現象として興奮は正しいのだろうけど、その対象は私たちが普段生きている社会が規定しているのだろうか。
本能って何なんやろうか。
議論の余地がある話題だと思った。
ただ、本能という言葉で片づけてはいけない。
社会的に作られた記号であるならば、僕たちの意思で変えていきたい。
男性であるというだけで特権を手に入れていることを自覚する。
女性の意見は通りにくい一方で、男性の意見は通りやすいということがあるそうだ。具体例としては学校に対する保護者の話が挙げられていた。お父さんが言った方が聞いてもらいやすいという場合があるらしい。
僕は男だから意見が通ったと感じたことはなかった。
それは僕が気づいていなかっただけかもしれない。
男性の女性に対する性的な視線であったり、セクハラであったりは今でこそ気を付けるようにと指摘されるようになったが、完全に改善されたかと言われるとそうではないと思う。
現代では男性に対するセクハラとかもあるみたいだけど、一旦ここでは置いておきたい。
何よりもこれまで生きてきた中で、性的視線やセクハラで不快な思いをしたことがないのは男性として生まれたからというのも一理あるのかもしれない。
そう太田さんは言っていた。
男性として生まれることで、少なからず特権を手に入れているのだ。
だからこそ男性自身が自分が男性であることの意味を考える必要があるのだと思う。
自分の感情や考えを言語化して相手とコミュニケーションをとる。
「男らしさ」とか「男らしく」あることに囚われて、その不文律的な基準から外れていく自分をさらけ出すことが怖かったんだろうなって思った。
やはり男なら稼いで強くありたい
男なら精神的に自立して強くあるべき
そういう気持ちがずっとある。ただ、そこまで強くなりきれない自分自身の存在にも気づいていた。
今までは自分の気持ちをあまり言語化せず、弱さをどうにか強さに変えたくてもがいていた。自分の気持ちを適切に言葉にしていなかった。というか、その方法を知らなかった。
でも大学院で2年間学ぶ中でいろんな考えを知り、自分の感情を適切に言語化できる思考と語彙を身につけられたのだと思う。
だからこそ、男性性というテーマに気づけたし、この本に出会ってすこし楽な気持ちになった。
まだまだ学びは続く。
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