お箸の持ち方論争に対する私の意見


Twitterなどで度々話題になるお箸の持ち方。正しく持てないのは日本人としてどうかだとか、問題なくご飯が食べられればいいとか、色々な意見が飛び交っているのをよく見かける。

TwitterはROM専なのでいつも傍目に議論を追うのみなのだが、折角Noteを初めたので私も意見してみよう。
なお、反対の意見を持つ方々を批判する意図は全くないことは留意されたい。

結論から言うと私は「正しく持つべき」派である。理由は大きく言うと1つだけ。

「正しく持とう」という意識がないことが理解できないからである。

正しいとされている持ち方があるのにそれに倣わない意図がわからない。
家庭科の授業等、義務教育を受けていればお箸の持ち方は必ず学ぶだろう。それに、これだけ論争が起きているのだから正しい持ち方を良しと思う人も多い。つまり、「模範がしっかり定まっている」ということである。

「お箸の持ち方が綺麗」という褒め言葉があるように、模範に従っている限りそれは美しい所作なのである。
人に対して「美しい」と形容するような事柄には定量的でないものが多くある。例えば、容貌や字の綺麗さなど。これらには正解など存在せず、人によっても違ってくる。
でも、お箸の持ち方に関しては正しく持てているかいないかの2通りしか存在しない。正しく持てている人を並べて「こっちの人の方が持ち方綺麗だね」なんて言わないでしょう?正しく持てていればそれはイコール「美しい所作」なのである。

また、先述の通りお箸の持ち方は義務教育で触れるが、これは即ちほとんどの人に学ぶ機会が与えられているということである。
容貌であれば生まれついてのものや身に着けるものを選ぶセンス、字の美しさなら書道経験など、自分では如何しようもないことや学ぶ機会が与えられるかどうかによって差が生まれる。その点、正しいお箸の持ち方は均等に与えられる知識と言えよう。

勘違いしていただきたくないのは、義務教育で学んだことは全て踏襲するべきと主張しているのではない。例えば私などは小学校で学んだ算数や理科さえ危ういが、私の人生においてはそれらは使う機会がなかったので覚えている必要もなかった。その他、PCやスマートフォンで文字を入力できる時代ゆえ小中学校で習う漢字を書けない人もたまに見掛けるが、技術の在り方の問題でもあるので本人が不便を感じていなければ構わないと思う。
しかし、お箸は恐らくほとんどの日本人なら毎日のように手にするものである。学んだことを実践する機会は他に学ぶどの事象よりも多いのではなかろうか。毎日持つのだから、「使う機会がなかった」は通用しない。持ち方がおかしいのは機会の問題ではなく「正しく持つ意識がない」からなのである。


食べ方や立ち居振る舞いは誰でも直そうとすれば矯正できるものである。私は直せるところは直したいし、努力でできる限りは「美しい」に近づきたいため常日頃から所作には気を配っている。
実際に美しいかどうかはまた別として、自分なりの基準を以てそこに近づこうと意識する心持ちがそもそも美しいものだと思う。
だから、正しく持てていないままで良しとする心情は私にとっては理解し難い。

自分の理想に向かって努力してはいるが、そこにお箸の持ち方は入ってこないという方ももちろんいるだろう。その可能性も重々承知しているので、持ち方がおかしい人に「持ち方間違ってるよ」と指摘したり、持ち方がおかしいから一緒に食事を取りたくないと思ったりするといったことはない。
ただ、「なぜこの人はこだわらないんだろうな」と疑問なのである。誰でも矯正しようとすればできることなのに。


賞味、正しく持てているかどうかは問題ではないのかもしれない。「正しく持とう」という心持ちがないことが嫌なのだと思う。



あとね。とにかく、
「正しく持ててなくて何が悪いの?」という屁理屈が心の底から大嫌い。

正直、私も正しく持てた方がいい理由を論理的に説明できない。持ち方の由来を知っている訳でもない。これまでに述べたことも個人的な価値観に基づいたものなので論理的とは言えない。
でもさ、正しく持てなくてもいい理由も同じじゃない?持つ努力をしたくないから開き直ってるだけでしょ。何に対しても理由を求めたらある程度こじつける事はできるし、根拠を問い始めたらキリが無い。それを分かっていて自分だけ理屈っぽく責めてくる行為のなんて卑怯なことか。
ただ正しく持つことを意識していないだけなら理解はできずとも許容できるが、こんなような屁理屈をぶつけてくる人は実に忌々しい。恐らく私が最も合わない種別の人間である。

とどのつまり「自分が気に入らないから」なので、納得できない方もきっと多いことだろう。
正しいとされる持ち方が一番食べやすいと思うからというのもあるけれど、手の形によっても持ちやすさは違うかもしれないので理由として挙げるには相応しくないし。皆さんの意見もぜひお聞きしたい。

論理的に「正しく持てなくてもいい」理由を説いてくださる方がいらっしゃれば、反対派の意見にも寛容になれるかもしれない。

よかったらお気軽にコメントしていってくださいませ。私の拙い意見を正してくれる方がいらっしゃれば是非お願いしたい。


(追記)
この記事を書くに当たって初めてお箸の持ち方の歴史を調べたのだが、インターネットだとほとんど見つからなかった。そもそもヒット数が少ないし、記事を見つけても内容がバラバラだったりして信頼に足ると感じたものはなかった。
やはり歴史や文学はインターネットだと浅い知識しか得られない。大学では文学を志していたが、課題の中で分からないことをネットで調べても全く答えがないので、否応なしに図書館で本を巡って調べるしかなかった。(理系科目もそうなのかな??)
お箸の持ち方とか食事作法の歴史に関する本もあるだろうから読んでみたいな。

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