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出会いの原始化。~旅から学んだ人との出会いと距離感とは〜

人との出会い方、忘れかけていませんか?

コロナで人との関わりが減り、出会いのきっかけがSNSということがすっかりスタンダードになりましたね。それでも、町で生まれる一言二言会話の出会いは、もっとあってもいいんじゃないかと思う。

コロナ前に当たり前にできていたことが、当たり前にできなくなったことの一つに、海外旅行がある。

旅先での記憶を思い出すとき、そこで見た景色よりも、現地で関わりのあった「人」を思い出す。こんな人にこんな風に優しくしてもらった、こんな事を言われた、など。

旅先での出会いから学んだことは、今、その場に行けなくても、ずっと心に残り続ける。その人の素敵だなと思ったところを自分にも組み込んで、私の一部であり続けるから

ここでは、これまでに私が旅先で出会った、現地の人との一言二言の関わりと、程よい距離感が心地よいと感じたことを振り返りながら、それらが日常に溢れていたらどうだろうという想いを綴る。

コロナで旅行が制限されても、人との集まりが制限されても、普段の生活をまるで旅をするように、みんなが一瞬一瞬の出会いもっと気楽に楽しんでほしいと思う。

オーストラリア

<壁の無さはピカイチ。まるで親戚か隣人>

私が滞在していたオーストラリアのメルボルンでは、住宅街やビーチ沿いなど、前から歩いてきた知らない人とすれ違う時、笑顔で挨拶することが多かった。

こちらに関心をもって、調子はどう?と話しかけてくる人も多い。通りすがりなので、一言二言会話してその場を離れる。ただその一時の出会いだけど、ほんのり温かい気持ちが残る。

トラム(路面電車)に揺られてる時も、隣にいたじいちゃんが話しかけてきて、私が下車するまでの間、たわいもない会話をする。別れ際、「今度おうちに遊びにおいでね」「うん、わかった!」と返事するも、どこに家があるのか知らないんだけどね。それで良し。

レジに並んでる時、後ろのおっちゃんから話しかけられ、レジ待ちの間、立ち話をするなんてこともある。どこの誰だか知らないけれど、その1、2分の出会いを楽しむ。

商業施設のお手洗いで手を洗ってると、後から来たおばちゃんが、鏡に映った私を見て「あら、そのストールの色、あなたにとっても良く似合ってる!」と声を掛けてくれた。「ありがとう」とにっこり笑顔で返事を返す。

人を褒め慣れしてる、そんなあなたがかっこいいぜ

お目当てのカフェに到着したものの、たまたま休みだったみたいで、「やだーせっかく来たのに休みじゃん」と友人と話していたら、"Never mind!"「気にすんな♪」と明るく声かけて過ぎ去った通りすがりの女性。そうね、店が閉まってたくらいでと思わず気が抜けた。

これは私だけに限ったことではなく、いま知り合った者同士がちょっとした小話をしている光景は、町のそこら中で見かける。

オーストラリアの人は基本的に陽気で大らかで人当たりが良く、楽しいことが大好き。他人との距離感は、まるで親戚か隣人かのように壁を感じさせない。こういうのっていいな、私の心に残る。

アメリカ

<まるで挨拶するように相手を褒める ※地域による>

アメリカも広いので、地域によって人の雰囲気が全く違うのは前提として、私が滞在したニューヨークやボストンでは、とにかくよく通りすがりの人に褒められた。もはや挨拶だ。そんな文化を体験できた。

道を歩いていると、車に乗った男性が"Hi sexy!" とか"Hi beauty!"と声を掛けて笑顔で過ぎ去っていく。声を掛ける代わりに、車のクラクションをプッと鳴らし、笑顔で手を挙げて過ぎ去っていく人もいる。

私は別にセクシーでも美女でもなんでもないんだけど、こういう風に超気軽に褒めてくれると嬉しい。こちらも"Hi"と笑顔で返すだけ。

なんて素敵な挨拶なんだろう。女性に生まれて良かったと思う。

前から歩いてきた若い男性が「(ファッションが)キマッテルね!」と声を掛けてくれることもある。出会いはそこら中にあると感じられずにはいられない。

レストランは事前に予約が取れず、人気店は基本的に並ばなければいけなかったけど、後ろに並んでいた男性が「これとこれの色の組み合わせがよく合ってる!おしゃれだね~」と声を掛けてくれたこともあった。

これを言ったらどう思われるとか、そんなの全く関係なく、いいと思ったことをちゃんと相手に伝えてくれる。言われた本人も気持ちがいいし、ポッと心が弾む。

もっと遠慮なく!日本の男性も女性を褒める文化があるといいなあ。そしたらご機嫌な女性が町に増えそう。

そうそう、なかなか女性を褒め慣れていない日本人男性の参考になりそうな記事見つけた。<イタリア人男性の褒め美学>https://www.delonghi.co.jp/viva-italia/detail/id/4

「腹の立つセクハラと嬉しい褒め言葉との大きな境い目について」も触れている。

カナダ

<恋にどん欲!>

カナダのバンクーバーに滞在していた時は、オーストラリアとアメリカと比べて、いきなり会話が始まる出来事は少なかった印象だったけど、ナンパは多かった

こちらがデート中であっても、トイレに向かう途中、1人になったタイミングに声を掛けてくる男性もいる。なんと恋愛偏差値が高い町だ……。

人種差別の体験

とはいえ心が温まる出会いだけを経験しているのではなく、悲しい出来事、怒りたくなる出来事も経験した。

大体が、アジア人という私の見た目で判断し、侮辱する内容だった。通りがかりに言葉でののしられたり、言葉じゃなくても、1penny(日本円で1円くらい?)を突き出して、帰れという意思表示をされたり。こんなことする人も世の中いるんだなとその事実を学んだ。

ベトナム

<共通言語じゃなくても会話ができる説>

ベトナムのホーチミンでは、言葉が通じなくても、コミュニケーションをとれるんだという体験をした。

状況とシチュエーションで、たぶんこういうことを言ってるんだろうとお互い推測しあって一言二言会話をする。

トイレの掃除に来たおばちゃんが、手を洗う私を見て何やら笑顔で話しかけてきた。ハンドドライヤーを指さしてるから「これ使ったらいいよ」とでも言ってるのか。

私もすかさず日本語で「ああ、ありがとう。でもこっち使うから大丈夫だよ、ありがとうね。」と設置してあったペーパーを手に取りながら笑顔で返事した。

おばちゃんもにこにこしているので、まあきっとそんな感じの会話だろうと満足してさっとその場を去った。

ペルー

<ビジネスがプライベートの延長?>

ペルーの元首都クスコでは、昼間に観光客相手の仕事をして、夕方から学校へ行くという子供たちとの出会いがあった。

ぼーっと座っていたら必ず声を掛けられる。彼らが学校で描いたという手書きのポストカードや、お父さんが作ったという銀で作ったアクセサリーは、お土産ショップと比べて安く、デザインや品質も申し分ない。

学校で学んだという片言の英語で、急遽、町巡り観光ツアーに連れて行ってくれることになった。

観光ガイドを通してたらまず出向くことがない、現地の人たちの生活の場を通り行けて(標高4000m越えの山の斜面に上に上にと連なる住宅街の階段道は心臓破りの坂だった)、本当だったら料金を払って入るらしい世界遺産の敷地内の裏側をとおり、草原を彼らと馬で疾走した。

そのあとガイド料をしっかり取られたけど、こんな予定外の思いがけない出会いも楽しい。

国内

一言二言の会話が嬉しかった出会いは、実は日本国内でもたまにある。島根県出雲市に行った時、稲佐の浜で水遊びをしていたら、お清めの為の砂をもらいに来たという地元のおじいちゃんから声を掛けられた。神聖な場所への敬意を表して背広を着ていたことも印象的だった。

ちょっとした町角でのやり取りでは、友人の場合、クリスマスシーズン中に近所のスーパーで買い物をしていたら、知らないおばちゃんから「今晩一人でおうちで食べるためのチキンを一緒に選んでほしい」と声を掛けられ、一緒に選んだという話をしていた。

こういうちょっとした町角コミュニケーションは、日常にもっとあってもいいんじゃないだろうか。

でもふと……国内で、気軽に話しかけてくれるのは大体おじいちゃんおばあちゃんだということに気が付く。

もっとみんな、若い人も気軽に声をかけてくれたら私は喜んでその場の会話を楽しみたいと思う。

かくいう私は人見知りな性格なので、自分からいきなり話しかけることはしないけれど、話しかけられたら拒絶せずに対応するし、はじめましての人とでも、できる限り心の壁を作らずにリラックスして会話をするように心がけている。

このご時世だからこそ

以前のように自由に旅行ができるようになったら、旅先での目的+「人」との出会いを楽しむ旅をしたいと思う。

制限のある今の生活の中でも、まるでそんな旅をするように、一瞬一瞬の出会いを気楽に楽しみたいと思う。

そして、世の日本人男性に、自分のパートナーにはもちろん、周りの女性を、都度、都度、褒めてあげてほしい。女性はご機嫌でいてなんぼだと思うから。

#旅は人を育てる
#HOLICCnoteコンペ
#シーライクス

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