『百』#100

100番のnoteには、100にまつわる物語をぽつぽつと。
子どもの頃は、100まで数えられることが褒められたものだった。「どんだけ幼い頃の話を持ち出してんだ」とツッコミが入るかもしれないが、そうではなかったか、みなさま。お風呂に入って、肩まで浸かって、「100数え終わるまで、肩まで浸かって温まりなさい」と親に言われた記憶は無いだろうか。記憶にあるころには、百までは淡々と言えるようになっていた。夏の風呂上がりは、汗だくだった。冷えた麦茶がたいへん旨い。いや、あのころは牛乳だったかもしれん。
“風呂に入って 肩まで浸かって 全部きれいになるのがいい”と歌っているのはくるりだ。足も手も、ふよふよにふやけている。
風呂と100とでもうひとつ。中学時代は陸上部で長距離を走っていて、肺活量を鍛えられるかなと思って始めた習慣がある。風呂に入ったときに、何秒間潜って(鼻まで浸かって)いられるかと、どこまで耐えられるかと息止め我慢特訓をしていた。初めのうちは60〜70秒が限界で、1回の入浴時にインターバル15秒で3回挑戦していた。だんだん慣れてくるもので、2週間したら90秒くらいは平均して潜っていられるようになった。それからは90秒前後を推移して、2分到達するまでには時間がかかった。90秒いけるようになると、なんとかなんとか耐えて100秒まで粘りたいと思うもので、ただ、肺もいっぱいいっぱいで胸部と腹部をぎゅむぎゅむ動かして喉を詰めてとにかく耐えようとするのだけれどなかなか遠く、そして暗い。100秒の壁があった。結局、2分に到達してから思ったのは、「これは鍛えるというより、慣れ、なのではないか、肺活量ってこうやって鍛えるわけでもないよな、方向性違うな」ということ。それからすぐやめた。1週間前に、思い出してやってみて、3本とも約90秒だった。慣れだね。
つい最近のこと、デザイナーの原研哉さんが「白百」という本を出した。白い装丁の本が好きで、本屋で見た瞬間に「オッ」となった。白について具体的な事例・事物の文章を100本集めた書籍らしい。気になるし、私の書くこのnoteの方向性を再考するきっかけになるかなと思った。買ってはいない。原研哉さんはそもそも、ちょうど10年前に「白」という書籍を出している。それは空白、空っぽで何もないこと、それについてデザインを絡めて書いたものらしい。読んでいないし買っていない。図書館で早く読みたいと思っているところ。こういう、読みたい・気になっている・目に留まった、けれど購入はしていなくていつかは読みたい、みたいな意識の本って、数え上げたらおそらく百じゃきかない、相当数の脳内積ん読があるだろう。本だけではない。気になっているもの、目に留まったけれど、まだ関与していないもの、それらと早く袖振り合う縁、袖触れ合う縁、手繰っていきたい。
人生何年時代なのだろうか今や、と思うがなんとか元気に思い切り時間を使って、意味ある意義ある百年人生を謳歌していきたいと思う今はまだ二十七。

#百 #180328

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