『登山』#220

字の通り山に登る。ハイキング、と一線を画すように思わる登山。山の厳しさに合わせて装備を整え、荷物の大小こそあれ重たいものを背負って時には手を使って枝を掴み身体を持ち上げたり崖を登ったりと、どことなくハイキングとは傾斜が違うものだと認識しているのが登山で、登山には甘さがない。自分の体力と精神力が保つか保たないかと対話を続けながら頂上あるいは目指すポイントへと登り続けていく。そして登山は登るまでで全てが終わることもなく下りて帰るまでもまた同様に苦しさと厳しさが、登るときよりも小さいかもしれないしまた大きいかもしれないが確実にある。
こんど、高尾山に登るのでそんなことを思い出して登山について指を動かしてみた。高尾山は初めてではない。一度ある。だから、登山なのかといえばハイキングで、しかも今回の目的はビアガーデンなわけだから、登山っぽさはかなり薄い。
漫画の『岳』を読むと、すごく、すごく山に登りたくなる。山に登って、コーヒーを飲むとか、景色に見惚れるとか、友達とでもその場に居合わせた他人とでもその場の感情を分かち合うとか、なにかこう、余計なことをしたくなる。ただ頂上に向けて歩を進めるだけではない、余計なこと。でも、それは純粋に歩き続けることの集中があってこそ、息を抜く瞬間としてある、有り難みがある。主人公は救助ボランティアとして山を駆け回る場面が多いけれど、そうではないときにも彼は山にいて、山で暮らしている。一番最初の回で彼は、救助で助けた相手と下山しながら“マイホーム”として自分のテントを紹介した。私たちは山の下にある家から出発して、山を登るけれど彼にとって山は住まいだ。それでも面白いことに彼は、街にコーヒーを買いに降りたりしながら、またふもとから登る。登山として楽しんでいる(漫画自体の後半では、彼自身の登山を見つめ直すときが来るけれどそれはまた別)。
登山を目的とした外出とは別で、暮らすのとも別で、進むべき道すがらに山がある、そんなときもある。なんというか、望まざるときに登らざるを得ない山。四国遍路に友人2人と出向いたとき、その場面があった。次の札所が山の上、ということ。あれはキツかった。そのときの気候もキツさに拍車をかけた。8月末の暑い暑い日、一番札所から歩き始めて3日くらいだろうか、平地を歩き回ってからの登山。「朝イチで出発しないと日暮れに降りられない」と宿の人から聞いていて、早くから登り始めたけれど朝から暑くて登るうちどんどん汗をかく。4本のペットボトルを用意していてもどんどん減る。登山道にはアブが飛び交っていて身体の汗のにおいを捉えてか、ずっと付いて回る。耳元でブンブンと唸り時折離れまたブンと飛ぶ。叩くにも刺されたら敵わないし無視を決め込むしかない。札所までの距離も時間もよくわからないまま、強烈な不快感とともにひたすら足を動かしていく。ようやくお寺の参道に至ったときは物凄い達成感で頭も体もいっぱいだった。
今回の高尾山はそのときの2人とで、あの達成感をビールでもってまた味わうことができるだろうか、まことに楽しみ。

#登山 #180726

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?