『写真集』#260

それほどたくさん持っているわけではないけれど、それなりに本棚に見える視野面積を広く占めている。そして、持っているそれぞれについて、愛着と執着が強い。ほかの文庫本や単行本とか雑誌に比べて、1つ1つの私の中での比重を考えると、群を抜いて写真集ジャンルが高い。重い。
圧倒的に、目から入ってくる訴求力が強いのが写真集というジャンルで、雑誌にも写真が多用されているものは訴求力が強いものがあるけれど多少の文章が添えられていて、時間と衝撃力をグラフにしたとしたら例えば10ページ進む間の変化は、写真集が一ページ進むごとに激しく一山の波を描くとしたら、雑誌では各一ページを開いている間に複数の山が描かれる。雑誌は一ページの中に高波と凪が訪れる。勿論写真集だって一ページを長く開いて凪が来るまで、景色が変わるまで佇むことだってそれは見方の1つで、ありえないことじゃない。いま雑誌を相手取って見方を比べたけれど、もしかしたら写真集でだって、見えない文章をそこに見ることが出来るかもしれない。それはもの次第で、私は、手元にある中では奥山由之さんの(BACON ICE CREAM)と高橋ヨーコさんの(ダンデ・ライオンとトラベル・サンド)写真には文章を見出すことはできない。川内倫子さんのについては、(うたたね)は文章を見ることができるけれど(花火)は無理、みたいな違いもある。
写真自体、それは1つの写真がたくさん束ねられたもので、そのうちの1つの写真に対してがっぷり向き合って様々な目の置き所があれば長く向き合えるし、ある単一の特大の衝撃だけを感じるものは、ドンッと受け取ったら次にサッと進む。言葉で書かれた物語は、1つ1つの言葉、記号が連なって意味を持つ単語や文節、文章を組み上げているからそれは、記号を一つ一つ読んでいく方法をとる。それしかない。いや、一文字飛ばしで読むとか文頭を繋げて読むとか、意味の発見は可能、だけれど、それを意識されず書かれた物語ではその行為はほとんど意味をなさないので自己発見アートみたいな作用をもつ。それで文章を連続して読み続ける物語に対して、一枚の絵で、一枚の写真で、少ないものから膨大なものまで情報を持った、パラメータの複雑な写真って媒体は、目と脳と、ひとの記憶に紐付いて千差万別な感情に結びつく。
そうではない、そうではない写真家の飽くなき追求を撮り収めた写真集もあって、それについて私たちが持ち得る感情はいったいどんなものだろうどんな心象が見えるようになるだろう、と今でも向き合って自分に問うような写真集があって、それがいま手元にある、上田義彦さんの「68TH STREET」。紙と光と陰を撮った、とにかく撮り続けたもの。作為とか物語とか、そういうことを想像するでもなくとにかく、美しい光と美しい陰と美しい陰影、紙の柔らかさ、そのパラメータ群だけの写真たち。
これからどれだけ、増えていくだろうと思って本棚の整理が追いつかない。

#写真集 #180904

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