『尊い』#213

近ごろ耳にするように、目にするようになった言葉の1つ。名詞の頭について修飾する用法よりも、文末で主語と同等の補語として使われる用法として。もはや感動詞的な使い方でもある。「尊い」。
何かを指して「いい」とするための言葉はどんどん増える。それと同時にどんどん減る。減るというか、使われなくなる。思い出せる限りでは、チョベリグ(超ベリーグッド)、あとは「よき」「よさみ」も近い日の言葉だったけれど見かけなくなった。なんとなくだけど、抽象的に何にでも使える「よい」の変形語は、耳が飽きるにつれて使われなくなるのだろうか。それらの言葉を使わないでいた側からすると、「日本語が乱れている」という当時の所感と「結局、『よい』で足りてる意味なのだったら不要になるよな」という現在の実感とで収まっている。「よい」の派生ではないけれど、「怒っている」の派生で「おこ」が使われたのが数年前に記憶があるけれどそれも、結局「怒っている」で足りていた意味を、表象を変えてみただけの一過性のブームというかトレンドで終わった。
それに対して、尊い、は定着するのかなあと思いながらいま、言葉を目にしている。抽象的なある単語ひとことで言い表し切らない感情・状態を、あえてひとことで言い切る「尊い」は短文文化(TwitterとかInstagramのストーリーとか、“見出し”で読ませるSNS)ではものすごく便利なのだろう。
推しのアイドルの懸命な姿、きらめく俳優がステージに立つ相、それらの写真や画像と共に、嘆息と恍惚の合わさった胸のうちから出る言葉、私にだってその感情は追体験することが(見た目だけではそうはいかないけれど物語に想いを馳せると自ずと)できる。
この感覚も、言葉を習った頃からずっと使い続けて来た人からしたら、なんか意味が違う、と思うのかもしれない。言語って、存在し続けているわりにややこしいものだなと、流行を追い続けないといけない使命感をもつ例えば女子大生とか男子大生とかファッション業界の人は特に思うのだろうとうっすら想像するのだ、渦中にいると見えない、ということもあるかもしれないが。
ニュース番組で「今年は『体験型の道の駅』が流行る」と旅行雑誌の編集長が話していたけれど、はたして、すでにいま流行っているのか、いままさにブームが盛り上がっている最中なのか、これから来ると予想しているのか、あるいは自分たちがプッシュして盛り上げるぞという予言なのか、そんなことにまで想像が及んで止めどない。
そんな雑然とした想像もなしに、感じたままに「尊い」と言える存在って、たいへんありがたいものだなと思えて、わかりみが深い。

#尊い #180719

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