『イヤホン』#295
こだわりと節約の狭間で。
いまは、iPhoneに付属してきたものを使っている。
嗜好品というとチョコレートとかタバコとかコーヒーとか、風味や香りを楽しむため摂取するもので、栄養を摂るための食べ物とは違って好みによって楽しむもの、としておおよそ経口のものを指す言葉としてあるけれど、嗜むものとして感覚的に、耳から入れる音への、聴覚的な嗜みの一つとしてイヤホンやヘッドホン、スピーカーの類いも、なんだか「嗜好品」と言いたくなるなぁと思って書き始めたこの段落、この段落は途中で「嗜好品」について辞典的な意味を調べて確認したところ「経口の」ってのは前提として確実なものらしくイヤホンは嗜好品だと言えないことがわかって「「嗜好品」と言いたくなる」と書き下すに至ったところ。
私にとってのイヤホンはなかなかキワキワな位置にいる。良い音・高解像度(どうしても視覚脳の人間なのでこう言ってしまう)の音にこだわりたい気持ちと、二万円以上の金額を出すのは無理だなって気持ちと、悩ましく思っていてここ半年以上、頭の片隅の、ところどころに断片が散らばっていて歩くたびにカタカタと音を立てて存在感を示してくる。
大学入るまでは、聞こえる音が全てだと思っていたので手元にあるイヤホンとか量販店で買い求めやすい千円前後の見た目がそこそこ気に入ったもので音楽を聴いていた。何も気に留めることがなかった。なかったし、そのことで悩ましく思うことすらなく疑問に思うこともなく、「朝飯は米だ」ってことと同じように当たり前な状況だった。
わたしのそんな状況から、パラダイムシフトが起きたのは確か、大学何年生かになって、パソコンを買い換えてそれから、また何年か経って大学院生になってイヤホンをこだわる(マニア的・コレクター的ではなくて)友達の話を聞いて思ったこと、年単位の時間が空いているけれもこの二つの要因が多分に重なって、一万円弱のオーテクのイヤホンを購入するに至った。上を見たらキリがないと言われていたので、そのとき「ここまでなら買えるかな」って金額の一万円前後で探してみた。そう、すでにわたしは「探す」までに至っていた。千円そこそこのイヤホンで体験できなかった、立体的・高次元な聴覚体験があって、大変に驚いたことを覚えている。千葉のヨドバシカメラのイヤホン売り場で、iPodを挿し挿し、スーパーカーの曲を何曲も流した。いちばんよく聞くアーティストの曲を、どれほどの体験にできるかと。購入したイヤホンは、それまで聞こえたことのなかったベースの音を一音一音分けて聞かせてくれて、全ての楽器が頭の中それぞれの位置で演奏をして個別の楽器のそれぞれの音源が脳内に点在して奏でてくれる、強烈な音響体験を提供してくれた。
そのイヤホンを半年少し前に失くしてしまい、再購入するに至れず、強烈な喪失体験でもってか、あるいは窮状からか、こだわりと節約の狭間で、iPhoneに付属してきたものを使っている。
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