『チョコレート』#58

他ならぬバレンタインデー、象徴されるチョコレート。連続して食べ物をテーマにしてしまったけどご愛嬌。
学校の下駄箱とは、靴と上履きが交互に入れ替わる箱であって、誰かの想いが預けられる箱であったことは自分にはない。ただ、物語的にそう機能する箱としては知っていて、それはおそらく誰もが共通して知っている「象徴的な出来事」を示唆する。2月14日ほどその物語性が自分に及ぶこともあるまいと思う。チョコレート、あるいは手紙。とはいえ私の頃もケータイのメールは便利なもので、ロッカー式の下駄箱の秘匿性はもう不要で、十分にプライベートな意思伝達が可能になっている。下駄箱にあったのは、ロマンスの気配だけだ。
そんな、雰囲気だけ甘酸っぱい話は置いておいて、バレンタインデーで最も高い割合を占める材料は小麦粉なんじゃないかと、思ったものだ。板チョコや個包装のチョコをポンと渡すこともあれば、溶かして再形成した「手作りチョコ」もある一方で、クッキーやマフィン、カップケーキにチョコペンやアラザン等トッピングでアレンジされたものは定番の「バレンタインチョコ」なんじゃないかなと、プレゼントと同義にチョコと呼び習わされる贈り物たちに思う。
このあいだ、昨今流行の“ビーン・トゥ・バー”タイプのチョコレート屋さんに行った時、たいへんに衝撃を受けた。「カカオと砂糖(たぶんショ糖ではない)のみ」と紹介されたチョコたちはみな、ぜんっぜん違う味をしていた。苦味にも、渋くて口が酸っぱい感じになるものがあれば、ギンギンに苦くて奥歯の横の顎関節あたりがイーッてなるのもあり。ベリー系の香味があったり、なんか製材したばかりのスギの角材のようなにおいがするものがあったりして、妙にショックを受けた。目からウロコが落ちることは、自分の見える世界が広がることでもあって、世界はたいへんに広いということがわかることでもあって、3次元的に成長した気分だった。そこで、そもそもの目的として食べたチョコしみしみのフレンチトーストは格別の旨さでした。
豆の産地と種類だけでてんで味が違うってのは、コーヒーだったら知っていたことなのに、チョコレートでもって「初めて」感があるのが不思議だった。ほうれん草だって、牛乳だって、マグロだって、みんな違う。
なんだかそんなことを思い出していたら、ことバレンタインデーだって、女性がチョコレートを贈ることもあれば、男性が花を贈ることもあるしなと視点が引ける。言葉の記号性とそのゆらぎを実感する。

#チョコレート #180214

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