『螺旋』#249

ぐるぐるまわるすべり台、というタイトルの小説がある。中村航さんの書いたもので、ある若い男の人が、大学を清々しく退学して、塾の講師をしつつ、バンドメンバーを集めつつ、人と話をしながら聞きながら眼差しを組み立てていく、ような。わたしが書くとこんな感じになる。すごいドラマチックでもないし波乱万丈でもない。日常にいそうな、ほどほどに個性が強い登場人物と、会話をしている。物語のなかで通奏低音のように流れる空気は主人公が大学時代に建築学の講義で聞いた、黄金比の普遍性と、黄金らせんのもつ無限の発散と収束にある。そして、ビートルズのヘルタースケルター。深掘りされるでもなく、“ぐるぐるまわるすべり台”の表象としてあって、黄金らせんを強化する。登場人物たちは、主人公を含めて、どこか拗らせたところがある。塾の教室長と、マミとマナミはある意味まっすぐで、そこがフックになる。まっすぐなものにフックってどんなギャグやと思うが。
人間って否が応でも螺旋に引っ張られるものなのだろう。人体・人格を構成する二重螺旋がそうさせるのだとそう思えば納得もできるか、私たちのDNA、果てしなく続く螺旋の鎖が、私たちを引く。
その二重螺旋を初めてまともに知覚したのは高校の生物の授業。中学でも理科で、DNAと染色体、減数分裂の話は学んでいたけれど、高校でさらに詳しくアミノ酸のA,G,T,C、これらが果てしなく長い鎖を構成して手を取り合って並ぶその配列で、私たちの人格や身体の作りが決まっていると、ここで目に映る手にも指にも爪にも収まっている渦巻きが私たちを形作っていると、そのことを知ったときは大変な衝撃だった。細胞の分裂についてはまだ、手に刻み込まれたシワとか爪の成長とか見ると「小さい」ことに納得できたのだけれど、いやもちろんそのシワとか爪の伸びとかより細胞は小さいわけだけどその小さい細胞の中にさらに小さい核、その中におさまったものものは、約2メートル分、手を取り合ったアミノ酸の対が60億個ある、そんな途方も無い数字には驚くほかないし、スケールがおかしい。なんで、めちゃくちゃ小さい細胞一個の中に、約2メートル分のDNAが、くるくると二重螺旋を形作って私たちを構成する螺旋が、おさまっているのかと。2メートルの長さの二重螺旋、それは公園にあるそんじょそこらのすべり台よりも高くて、それはぐるぐるぐるぐるって、回り始めたら日が暮れて朝が来てまた夜が来るぐらいに無限性を感じられるすべり台が、私たちの細胞一個に入ってる。そりゃあ気になるってもんだ。

#螺旋 #180824

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