『抑える』#53

なにもリリーフピッチャーのことではない。野球ネタを引っ張るつもりはない。
ある力・量・数値などが過剰にならないよう適切な状態に留めること、これだ。検索して初めに出たところでは、ある水準以上には高まらないようにする、ということ。
夜の初めて走った15キロのランニングで、入りのペースを抑えたことで理想的な平均ペースを維持してなおかつ、走った後の身体のラクさがたいへん心地よかった体験から書き始める。ここ最近は、10キロだった。長さに関わらず入りはポーンと速めに飛ばして、およそ4'15"/kmくらいで3キロ走る。それから息も上がって脚も重くなっていって、ペースが落ちていく。終盤に4'30"くらいで推移して10キロの平均が4'25"/kmくらいで終わる。ペースには概ね満足しているけれど、本旨は「痩せたい」というところにある(スーツの太ももあたりがきつい。もともと筋肉量も多いのだが)。有酸素運動をしなきゃ、いけない。そう思い直して、でも、速く気持ちよく走りたい気持ちも強い。なので、ギリギリ(?)息が苦しくならない、速いペースでということで、全体を4'30"ペースで走ろうと決めてみた。うっかり入りで飛ばしたくなる気持ちを、ぐぅっと抑える。一定のペースで、呼吸が乱れないよう、走る。吐いたぶんの空気と、細胞が欲しているぶんだけ空気を吸って、過不足なく吐く。細胞が苦しくなって速度が落ちそうなとき、脚がブレーキをかけそうなところを抑えて、筋肉を伸縮させる。過不足ないように、吸って吐く。
その、わたしの身体での加減速のせめぎ合い、ペースキープの意識は決して進撃ではなく、あくまで抑制にあった。
陸上部であったり駅伝など中長距離レースの訓練をしたことがあったりすればペース走の名前で馴染みがあるだろう、一定のペースで一定距離走り続ける練習が、同様の意識を味わうことができる。自分の発揮しうる最大限の実力については意識の外に置いて別の目的、例えば加減速のベースになる速度感覚を身につけることや、自分の呼吸方法や肺活量を確認すること、将来的に走る長い距離を見据えて短い距離でペース慣れすること、などのため遅く・抑えて走る。
ここ最近、ネットメディアで記事や投稿のかたちでよく見かける文章は、とても熱量の高いものが多い。それも、身を粉にして燃やしているようなもの。たぶんもっと別で夢中になって発信していない人もいるし、または冷静に戦略的に投稿しないことを由とする人もいるから、懸命に頑張っている人が皆がとは言わない。
働き方改革とだって、多くを志向させようと目先を変えようと試行されている。でも、国民全体を国家が支えようとしたならば経済はまったく力不足。
どうも、個人の力の及ぶ場所、届ける場所、悩ましいところ。力量は限られている。リソースというのかな。
個人がもっと“自分自身の幸福に向けて過不足なく力を注げる”ことが大事だと思う、それは勿論のことで、さらに日本が“日本自身の幸福に向けて過不足なく力を注げる”ようになったらいいなと思いもする。
それは決して他国を蔑ろにするのでなく、価値観を他所に置かない、ということ。自分が無理なく走れるペースに抑えようというとこ。
珍しく、おそらく珍しく、スケールを拡張してお話ししました。

#抑える #180209

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