『ポケモン』#151

まず、千文字程度で語りつくせるシロモノではない、ポケモン。
小学校の入学とともに大々的に発売された、あの赤と緑の2つのパッケージ、単3電池2つを使って動く、白黒画面のごっついゲームボーイにと発売された。いや2年生の頃だったかな。発売された当時はわたしはよく知らなかった。コロコロコミックもまだ読み始めていなかった。知ったのは友達の兄が遊び始めてその影響でわたしたちの学年に爆発的に広がったことがきっかけだった。友達が冒険するその画面をのぞき、草むらを歩き回るうち画面が暗転し、モンスターが飛び出してくるのを見、出てきたモンスターと友達のポケモンとが戦うその様子は、はじめて見る「ゲーム」として十分に、百分に、心惹かれるものだった。とにかくなんだろう、夢、というか、カルチャーショックというか、完全に未知の刺激だった。じぶんの手の中で、人形やブロックやミニカーが、目に見えているそのモノが動く、あるいは公園を走り回ったり駐車場で隠れたりする、実世界的な「あそび」しか知らなかったのだから、無理もないといえば無理もない、と28歳の自分から柔らかな視線を送ってみたりする。
マサラタウンから始まるあの物語、家の布団で眠ると回復するところや、部屋のテレビではスタンドバイミーが映っているところ、幼馴染のライバルのお姉さんがキズぐすりを分けてくれるところ、今思い出してみるとすごく胸にグッとくる。あのころはそんな舞台装置は気にもとめず、母をポケモンセンターがわりにしたり、テレビを確認するのはイベント待ちで、ライバルのお姉さんはキズぐすりもらったら縁の終わり、という感じで。淡白で、ゲーム進行至上主義だった。当然といえば当然だし自然なこと。それがいま、なんて緻密なゲームだったんだろうと振り返る歳になった。あの赤と青のパッケージは数年前にリメイクされて、少なくない数の友人がDSで楽しんでいる様子を知って感慨深かった。ただ、ゲームのやりこみをどこにするか、それは多種多様にポイントが増えていて、コンテストであったり自転車の乗りこなしであったり、あと驚いたというか(この仕組みは中期ごろからもう搭載されていた)タマゴによる高能力なポケモン生育、遺伝子的な強さと性格と技と、複数の要素で最強のポケモンを目指すやりこみ、これはすごいなと思った。思った一方で、このやりこみって一番「冒険」から遠い、定住と通勤みたいな、実世界のトレースになったようで、ちょっと味気ないなと思っている。
オーキド博士が、ゲームの遊びはじめに言ってくれた、「冒険の世界へ」という言葉はいまに再び生きてくる。151匹のポケモンが生息する世界から始まった物語を、冒険を、いまいちど初めからデータリセットしてやりたいなと、これはいつでも思い起こされて、思うこと。ノスタルジー。

#ポケモン #180518

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