『泳ぐ』#40
久しぶりに泳ぎに行きたい。そう思ったのは連日早朝の最低気温がマイナス続きの昼日中。寒いっつーの。
結果から言うと泳いでいない。水着の用意もしなければ、プールに行こうとも思わなかった。水着自体は、去年の9,10月に何回か仕事帰りに駅近の市民温水プールで泳いだ習慣みたいなものがあったおかげですぐ目のつくところにはある。そのころは数日に一回のランニングが習慣付いてきていて、残暑も厳しい秋口に「動かす筋肉を変えてみよう」そして「涼しく運動しよう」と思って、行くようになった。とはいえ、回数としては10回にも満たないはずだ。なにぶん、安いとはいえ一回1時間200円。それも帰り道の空腹度合いはハンパじゃない。本も読みたい盛りだったこともあってどこか喫茶店に入ってパンやらとコーヒーとでたっぷり道草を食った。身体動かすのが好きとはいえ、帰ってから「今度はランニング」と続くことはなかった。バイアスロンになっちゃう。
小学校に入る前、いまの家に引っ越す前の幼稚園時代にスイミングに通っていたらしい。覚えているのはプールの広さの感じ。天井が高く高く、背泳ぎをしながら眺めるにはあんまりに高い天井。コースはたぶん10もなかったはずだけど、とにかく記憶の感じでは広角に広い。潜るのと浮くのが好きで、できた泳法は背泳ぎとクロールだけ。速く泳ぐことに頓着しないわたしは背泳ぎばかりしていたと思う。小中では平泳ぎができなかった。体育でテストみたいなのはなかったから困ることはなかったが、なんとなく嫌だなぁくらいに思っていた。やってみると腕のかきと足のキックが同時になってしまう。すると、完全なる停止状態が訪れる。泳ぐ、止まる、泳ぐ、止まる。この動き、やってみるとわかると思うのだがたいへん不安になる。いまでは、いつからかわからないけれど、仕組みはもともとわかっていたからか交互の動きができる。しかし、腕のかきで5割、キックで2割、という感じの進み具合。3割くらいがどこかに沈んでいる。そろ秋口のプールでも、ときどき練習していた。これは数回の、しかも片手間での練習では成果は得られなかった。けのびの姿勢だけは良くなった気がする(なにせ伸びのときの姿勢が悪いと止まりかねない)。
水中で手や足を使って動くことをいう言葉だが、私の人間生活の中、いつか生まれた子供に「なんで泳ぐ方法なんか練習しなきゃいけないんだ」と言われて明朗に応えられる理由を用意できるだろうか。近いうち訪れる可能性のある宇宙はな、水の中よりさらに泳ぐのが難しいからせめて水中で特訓しておくのだよ、とか。いや。
寒さが猛烈に厳しいこの2018年1月末、うっかり気が触れてもいいなと思う。
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