『246』#246

始点はどこか、知らない。ただ、渋谷に至る道、として知る。それは始点であるのか終点であるのかどちらかはわからないけれど、なにか渋谷から進み始めることってないからやっぱり終点と思い続ける。
川崎の宿河原のあたりに住んでいた頃、もはや小学生より前の時期、長野の祖父母の家に帰省をするたび、あるいはどっかのディスカウントストアへ車で買い物に行くたびに、その道の名前を見聞きしていて道の名前であることはわかっていたけれどあの頃には国道か県道かの区分もよく知らないで246番目の道路であるとだけ認識していたあれは、不思議なことだった。
番号というよりも、「この246ってのはたくさんの人が往来で使っていて、街をつなぐ大動脈(この言葉を知っていたかはわからないが、重要な道の意味として)は少なくとも246本あるんだな」と、程度の差を捉えないまま「1から246まで全部の道が、このくらい車やバイクが大量に通っているて賑やかなんだろう」と思ってた。知っている、「番号で呼ばれる道」がそこしかなかったのだ。
それから少しして、川崎駅の近くの方に引っ越して、「イチコク」と呼ばれる国道1号線や、「第一京浜」と呼んでいる国道15号線、それらを知って「道の太さも使われ方も、通っている車の感じも、道の両サイドの建物やお店も、それぞれ違うな」と、番号がついたものはフラットな性質でないことを知る。いま私が知っている、情報を持っている国道って、結局この3本しかなくて、増えていない。
どの道にも思い出というか道の情報に付随して個人的な記憶が紐付いていて、246が特別なのは古い思い出が連関しているからで、小学生より前のことって、自分の身体も目も心も、なにもかも少しずつ違っていて、正確な思い出ではなくてとても断片的なものを今の心で繋ぎ直してあるから、最近の出来事と違って思い出すときにいろいろなことが合わさって引っ張り出される。246を引っ張り出すことで、小学生以前のあの道の深夜の風景から父母に時々話される私が三輪車であの道をディスカウントストアまで走っていったらしいタフな出来事も脳内に自身の網膜から映像を結ぶことはできないけれど客観的にイメージする風景が出てきたりはたまた設計事務所で働いていたときに溝の口から東京方面にあの道を車でファイル抱えて進んだ記憶まで量が一様でないながら縁日のあの手元の紐を引くと目の前のアクリルケース内で景品が引っ張り上げられるあのくじのように記憶が束になって襲いかかるように脳を去来する。
そんな246も、現実には渋谷が終点でもなんでもなく皇居外周の三宅坂交差点が始点になっていてなんと静岡の沼津まで繋がっているのだというのだからまったく自分の住まう界隈を中心に考えると世界の広さに驚くものです。

#246 #180821

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