『壊れる』#308

破壊、デストロイ。これは、「壊す」。能動的な破壊行為。デストロイはまた違うか、どうだ、わからん。この度の単語は、厳密に言えば二語なのか、前回もそうだが、「割る」「壊す」の活用形に助動詞の「れる・られる」を受け身で補ってできた言葉だ。国語のテストで「単語ごとに区切りなさい」って問われたら二語に分けなければならない。壊/れる。
クラッシュ。破壊衝動に依拠しない、事故・偶発的な、クラッシュ。
グラスは割れると言うけれど、グラスが壊れると言うと、どこかイメージが変わる。もちろんかしゃんと割れて粉々になってしまう全滅という感じのイメージから、どことなく、ちょっと取っ手が欠けちゃったとか小さな規模の機能を損なうようなイメージまで、ある。特に、壊れた、と言われてまず思うことは、何かの起こりで使えなくなった、ということを伝えようとしているのかなと、いうこと。
割れる、というのはなにか、ガラスであるとか陶器であるとか、固さのある物質でできた固体であること、それは膜状に覆われるものでも凝縮されて密になっている塊でもそう、割れる、ことのイメージは固体の結びつきが離れてバラバラになることにある。
壊れる、というとその割れるイメージに加えて、機能を損なうとか、再起不能になるとか、あらゆるものについて「機能不全になる」ことのイメージがくっついている。漫画のはじめの一歩では、パンチドランカーについて「壊れる」という言い方で「ボクサーであれなくなる」ことを指しているし、心が壊れるというとハラスメントであるとか鬱であるとかで「元と同じような精神状況と変わり、同じような心身ともに生活が送れなくなる」ことを表していたり、なかなか深刻。靴が壊れたら、それは穴が空いたとか靴底が剥がれたとか、履いて歩くことに大きく支障が出る事態を示す。靴底が多少磨り減ったことを「壊れた」とはなかなか言わない。
何かしらの出来事で住んでいる街が壊れることと、いまの生活は地続きであることを意識させられるここ数年、ことの契機は私にとっては2011年の東日本大地震だったわけですがいま2018年でも壊れたものたちは再生したものも新興したものもありつつ壊れたものは壊れた過去の一瞬とその時点からの「壊れている」時間があって、いまの見えている景色に繋がっている。私は阪神淡路地震の時は物心つかぬころで、物心のついた頃の私から見た阪神地域の街は前情報からして「再生した」とされる街だった。まだ、再生中であることとか、無くなってしまったものがあることも、わたしは知っている、知っているけれど、見えるのは傷跡だけなのだ、と、70年以上の過去の戦争体験についてまでいま、壊れた過去のことを思う。

#壊れる #181022

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