『飛行機』#15

成田空港を出発して、札幌、新千歳空港への飛行機に乗っている。1時間半のフライト。フリーペーパーの中にある間違い探しで10個のうち残りの1つがどうしても見つからず悶々するうちに睡魔に襲われ、目を覚まして再び見遣ったが見つけられなかった。答えは山門の棟の瓦幅の違いだった。
150から200人乗りくらいで、あまり大きくない。ターミナルから飛行機へ向かうバスから降りて、タラップと機体を正面に見て思った。「こんなに小さくても飛ぶんだ」と。思ったままの言葉が口をついた。さほど長くない羽に、エンジンは両翼に1つずつ。なんとなくだけど、長さと太さのバランスが悪くて、丸茄子のように見えた。勿論、丸茄子のようなフォルムではない、さすがに。ただ、脳内で変換された印象はまるで丸茄子。
しかし、いまこうして飛んでいる。不思議なもので。
三巨匠にも数えられる建築家のル・コルビュジェの著書『建築をめざして』には、「住宅は住むための機械である」という有名な表明・記述がある。この文言だけをみて、住宅において人間生活のあたたかみと機械の無機質さとを対比的・皮肉的にとられて誤解を受けることがあるが、本来的には機械を「ある目的を達成するための理論・科学を用いて綿密に開発された成果物」とのように言う。住宅も“住む”という目的を達成するために、適切な身体スケール(コルビュジェは人体を基にした“モデュロール”という寸法体系を示した)と適切な室の配置・生活動線で構成されるべきとした。その、主張の前段階で“空を飛ぶための機械”である飛行機を紹介していた。飛行機が空を飛び、人間を運べるようになったのは、決して鳥のように羽ばたくのでなく、風・重力と揚力、エンジンの推進力、大気と機体との摩擦力、諸科学・理論を駆使して造られたことによると紹介した。
映画『風立ちぬ』の中では飛行機の設計において目についたのは、雲形定規や“鯖の骨”以上に、あのスライドする、骨折した脚の当て木がわりにも使われた計算尺らしきものだった。
窓の外に見える羽とエンジンに見える鋲は、劇中の“沈頭鋲”同じものかはわからない。こう書くうち丸茄子は無事に新千歳空港へ降下を始めた。

#飛行機 #171230

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