『おにぎり』#190
ここんところ定義のややこしいものに触れていってしまっているような気がして、おにぎりを選んではみたけれど近頃の創作多様性はものすごいもので、「おにぎらず」という食べ物が生まれているようなのでこれはまいった。とはいえ、おにぎりに何か芯というか確たる核たるものがあるからこそ、反動的な「おにぎらず」が誕生したのだろうと思えばやはり、共有可能な定義あるいはイデアが存在するものとしておにぎりを扱うことは決して難しいことじゃない。
夜勤がはじまってから、晩御飯と夜食のためにとおにぎりを作るようになった。1つはシフト前、夕勤の仕事の後に食べて、もう1つは夜勤の休憩時間に食べる。そのときにはバナナも食べる。夏、暑さと湿気による食べ物の腐敗がとても気になる。ここ最近はおにぎりには保冷剤をセットにして、バナナは家で野菜室に入れておいて高温状態が続くのを防いでいる。ただ、だ。バナナは暑すぎるとぐずぐずになるからまぁ野菜室保存はアリだとして、おにぎりは保冷剤をつける必要があるのかと疑問が湧く。湧いたまま不安に負けて、相変わらず保冷剤をつけている。時代劇で見る江戸時代は、大きな笹の葉に包んだ塩むすびを庶民は持ち歩いていた。郷土史的にもそれで間違っていないのだろう。保冷剤なんて無い。きちんと塩をきかせればほんの数時間の持ち歩きには差し支えないのでは無いか、しかも朝から日中かけてのような気温の高まる時間帯ではない。暑さの落ち着く夕方から夜にかけてだ。きっと、保冷剤はいらない。直射日光を浴びる場所に据え置くでもなく、高温になる場所でも無い。きっと、保冷剤はいらない。それでも、夏の炊飯器の放置してしまった1日後の中身を知ると、それが塩をきかせていないとか温かい状態が一番菌が繁殖しやすいのだとかそういう安全と言えそうな理屈があったとしても、安全であっても安心とは言えない、あの発言を思い出される。
おかずとごはんを合わせてラップで包む、現代版イージエストおにぎり。この、おかずとごはんを合わせてラップで包む、というところで「にぎる」行程を省いた、あるいは、変換して「包む・挟む」に着目したのが最近名前を聞くようになった「おにぎらず」だ。初めて聞いた時はよくわからなかった。「激おこぷんぷん丸」並みに意味不明だった。「握らなかったら、ただの混ぜご飯かあるいは茶わん飯だろう、と。脳内ではおにぎりを変換するのでなく、おにぎりを逆再生した。どうやら海苔などを使って、にぎってボール状や三角形にするのでなく、ホットサンドかサンドイッチかのようにたたむか挟むかして、「おかずとごはんを合わせて包む」ことを実現したよう。おどろいた。おどろいたのと、もう一方で、もし今後またおにぎりを変換した「おかずとごはんを合わせて包む」食べ物が生まれたとき、そのときには「おにぎり」でもなければ「おにぎらず」でもない第三の言葉を与えなくてはいけないんだ、という妙な関係性が生まれるのだなと、おにぎらずの妙な優位性を思うことになった。ひな祭りのような階層性。
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