『肩コリ』#115

未だに経験がない。
現象、理屈はわかる。長く同じ体勢でいたり、力を入れたままになっていたりして筋肉が硬直してしまうことと血流が滞ってしまうことと。それに伴って頭の方への血行も悪くなってしまうこともあるそうな。そして肩がこると動かしづらいし可動域も狭くなって肩が上がらないということも、あると。
未だに経験がない。
ヘルパーをやっている母が、仕事が終わって帰ってきたときに過去、「肩が凝って、」と言った記憶は多くはないがなくはない。動かし方が一様ではないからか、硬直してしまうより単純に疲労を蓄積することが多いのだろう、コリのときには同じ作業の繰り返しだったと話してきたような気がしなくもなくもない。父が肩がこったと言った記憶は一切ない。わりかしスポーツマンだからだろうか。わたしもボール投げる系スポーツをやってた身体だからか、筋肉のコリからは縁が遠いらしい。設計事務所で朝から夜中までやってたときでも、特に肩が凝るとかなくただ、尻と腰、背筋がウーンって感じ、それくらいだ。
年取ればそのうち望まなくても来るよ。
そう言われてきたことしばしば。それはいったいいつなのだろうかと、わたしはうっすらひそかに、大人の階段の一つだと思っているのだ、肩コリに見舞われることを。身に起こったとしてまったくありがたくない事象ではあるが、成長痛みたいなものか、あるいは儀礼的なものかと思って心づもりをしている。
二十代が後半に差し掛かった頃、周囲で肩コリが云々って話が出てきた。大学の頃は、やたらめったら製図室でパソコンいじったりスケッチ描いたり模型作ったりしてても、ただ疲れるだけで肩コリなんてピンとこなかった。誰かはいたかもしれない。が、「肩コリきついねー」とは盛り上がらなかった。高校の友人が学部卒で働き始めてからだろうな。大人の階段を一つ上がった友人に「きついねー」「大変だねー」と口にしながら複雑な感情を抱く。
とはいえ、肩コリにならないことをありがたいと、嬉しく思うのは勿論、大いにある。わざわざ痛い思いをしたくはないし、作業能率が落ちることも、不健康的になったと感じることも、無くていいと思っているのだ。特に、自分が不健康的になったと感じることは、結構シビアな感情だと思う。リアルに実感する「もう若くない」は、そう感じた症例以外の若くない案件を一気に引き寄せてしまう気がしている、これは確信を持って言えるくらい、引き寄せてしまう、と言い切れる。病は気から、とも表せるか。「もう徹夜キビシーわ」とか「もうカラオケオールは歌いきれないわ」とか言う友人の発言に「わかるわー」と反応したときに「(いやそんなこともないけど、まだ元気だけど)」と思いながらいざ自分が徹夜に臨んだときに「あ、きつい、」と朝5時に思い、翌日の昼食後に「眠い」「無理」と瞼の重みに耐えられなくなることがあった。そして今もう、完全オールから翌日夜に眠って生活サイクルキープは叶わない。
同じことなのだろう。
肩コリを認知してからそれからは肩の違和感すべて肩コリ。
短歌一本読んで終局。

#肩コリ #180412

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