『トマト』#116

トマトを食べた、と思い出せる食の記憶は人間生活はじまって最初に食べた時ではなくて幼稚園生か小学生だかの記憶、長野の白馬のじじばばの家でのこと。食卓だったかどうかは覚えていない、複合的なできごと。
白馬のじじばばの家はごくごく小さな集落にあって、イメージはだだっ広い田園風景のなかにポツポツとは違う、奥の山を背に周り数軒の親戚が固まったようなところ。ダムと電車の線路が崖下にあって、北アルプスを前方に眺められるところ。かなり古い民家で、嘘か本当か築200年といっていた気がする、畑が隣と裏にあり、少し歩くと田んぼがあって、家の裏の土蔵と倉庫に色々な道具とスキー板があったり細々と材木が転がっていたり、暮らしの密度が濃いのだな、いまそう思う。
となりの畑ではトマトが育てられていて、ほかにキュウリやナス、スイカにメロン、さつまいも?大根に人参もあったような記憶がぼんやりあって、裏の畑はブルーベリー。あ、隣はもろこしもあったかな。夏に行くと畑に出て採れたての野菜を食べて、みたいな野生は川崎育ちのわたしには無くて、暑いし虫がいるしで出たがらなかった。父方の実家で、父は運転疲れで寝ているか畑作業を手伝ったり蔵の片付けをしていたり、なにかをそこで一緒にってことはほぼなくて、母が「外、畑行っておいでよ」と促すけれど母自身は出たくないようすなのでどうもあまり外に出ることはなくて居間でテレビを眺めるのが日中。昼飯はざっくりしてて、インスタントのラーメンを煮るかして、あとは漬物とか生野菜とか佃煮とか。子供心に「あぁ田舎」と思ったものだった。なんとなく手が伸びない。川崎で食べてるようなおかず(なんていうのか総菜屋さんイメージな並和風な)が無くて、純粋な田舎の、漬物!佃煮!野菜!みたいな並びにただ馴染めなかった。そこで食べられたのはトマトやきゅうりを切ってマヨネーズのかかったもの、あとは時々ある卵焼き(これも、砂糖が多めで苦手だった)。そして、いま最初にあげた昼のおかずは無論、朝も夕も同じなわけで。手が出ない。とはいえ、朝はご飯をおかわりしたり味噌汁と海苔と卵焼きとか目玉焼きとかハムとかウィンナーがあるのでそれなりに三角食べができるし、夜は焼肉をしたり鍋にしたり、食べられるものの比重が上がる。
その中で、正体がわかって食べられるものの筆頭、トマトを、映画のとなりのトトロを見たからなのかな、外の畑でトマトをもいで拭いて食べる、そのときがあった。食卓で食べていたものと、採るまえ、何の衒いもない状態から手中に収めたその実をそのまま口にする体験、リニアな食体験がその幼稚園生だか小学生くらいの頃にあった。土には虫が、苦手なクモとかコオロギみたいなやつとかなんかいっぱいいたけど、赤い実は上にまぶしくあって、とてもよかった。茎との付け根は黄色、緑の白んだ感じで、実が膨らんでいくに従って黄色く赤くなっていく。茎との付け根から膨らむところは人間の首とは違い、紙を丸めたときのようにシワがある。
いま、たったいま、食卓で野菜室から取り出してきたトマトを見てそのことを思い出した。このトマトは茎の付け根まで赤くて、中のもにょもにょの仕切り繊維まで赤くて、真っ赤なのだ。高リコピントマトと書いてあったかな、ぜんぶ赤い。ヘタが付いていたけどそれは綺麗な緑色をしていて、ヘタと実のグラデーションが無かった。絵に描いたようなトマトだ。
いま、たったいま、長野の白馬のじじばばの家には父の兄が一人で住んでいて、畑の広さは同じまま使わない部分が増えていて田んぼは農ヘルパーさんに手伝ってもらって、トイレは2つ水洗便所にかわっている。風呂は薪ボイラーのままだ。

#トマト #180413

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