『テーマ』#77

noteのテーマを『テーマ』とした。ここでテーマについて広げて掘って書こうという方向性ではない。通し番号70番台のnoteでやってみたひとつの試みを、ゾロ目でラッキーな感じのここ、77番で振り返ってみようと思って『テーマ』とした。
70番の『ダッフルコート』から76番の『休む』までの計7本、ひとつ試してみようと、書き方のルールを設定した。読んだ人はわかったかもしれない。特に『消しゴム』と『休む』は少し無理をして書いたなという所感アリ。
起承転結を徹底するとかオチをつけるとか話広げまくって最後に美しく収斂させるとか、そういう抽象構造的なものではない。枷のようなもの。テーマに取り上げる題材を初期ルールとして単語に設定したことを利用して、テーマ題材をいかにして包囲できるか、多角的に多面的に捉えてやろうと、そういう意図があった。これまでのnoteにおいても、各回の題材を使っていかに千文字くらいを使って文章を作り上げるかを考えて、主役にしてみたり終盤でのオチとして楔に使ってみたり掛け言葉とか言葉遊びの材料にしてみたりと、遊んできた。
文章自体の構造は基本的に「スタートの小ネタを中盤で忘れさせて最後にシンクロさせる」か「スタートの小ネタから話を膨らまして枝分かれさせて最後に束ねて結ぶ」か「途中でいくつか出した小ネタを再登場させて、チェックポイントとして波を作る」か、そんなところだろう。テーマにした題材は、通奏低音として響かせる場合と、そのままネタにする場合と、無関係な話から始めて最後に浮かび上がらせる(あるいは組み上がる)場合と、そんなところか。
とにかく、およそ70本のnoteに文章構造と題材の扱い方には一貫性がなかった。
それでもよいと思っていた。手慰みだし、千文字ぐらいをパッと書く練習として考えていたから、大した意義づけもなかった。自分を取り巻く単語、モノゴトはいったいどんなものがあるのか、そらを知るのも楽しみのひとつで、当然アジフライとかダッフルコートとかなんとなくとか、認識している身の回りのものが登場する一方、コーヒーとか建築とかの大文字で大好きでセンシティブな題材には触れられずにきたというのも面白いし納得できるし70本ほど書いてきてもなおハードルが高い題材だとわかったりして楽しい。つらくもある。ある意味、書いてきたテーマに対してはチャラいとも言える。ただまぁ、それもよかった。
だいたいの、note書くにあたって気になってきたことは「まあいっか」と了承してきた。でも、何も挑戦していないことに、少なくない焦りを感じたのが3月に入るころ。2月の終わり。何もしていないのが嫌で始めた「書くこと」で、「書くこと」それ自体を遂行するだけで何も考えてはいなかった。先に書いたような、文章構造とテーマ利用方法に策を講じていたことは不幸中の幸いというか、やってきたことの価値を支える力を持っていた。けれど価値を支える力があって、じゃあ価値自体はどんな秩序によって生まれるものなのか、ここ空っぽだった。そして私は、文章にルールを与えようと思った。ある一単語について千文字ぐらい、このルールはあったけれどあくまで文章を適当なところで締めさせるためのルールであって、文章を制約しながら、制約の中で生まれる創造までは誘発しない。そう、創造を誘発するようなルール、制約を、noteに与えたくなった。
そろそろ量も多いし冗長的になってしまったから締めよう。秘すれば花なりと言うではないですか、そういうことです。

#テーマ #180305

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