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名詞/Noun

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2018年12月の記事一覧

『サイヤ人』#318

一般名詞ではないよな、伝わる人と伝わらない人とがいるけど、318って数字を見たら瞬間的にアッと気付いてしまったので、漫画およびアニメにおけるドラゴンボールで登場する人種、サイヤ人について。 主人公の、サルのような尻尾の生えた(ニホンザルの尻尾はそんなに長くないが)少年、孫悟空は物語が進んで進んで青年になったとき、自分が生まれながらの地球人でなく、別の星で生まれて地球に送り込まれた異人種、サイヤ人であることを知る。ここの、悟空がサイヤ人であること、漫画の単行本においてそれなりに

『渋谷』#316

とにかく人が多い町、だ。ハロウィンの喧騒をテレビとかTwitterで見てそう、あっさりと思う。あれは、たまたま渋谷だったのか、たまたま渋谷に集まった仮装した人たちが軽トラをひっくり返しただけなのか、表参道では起こり得なかったのか、丸の内では起こり得なかったのか、そんなふうに土地を変えて考えてみるけれど、当然、起こり得る土地と起こり得ない土地があるなあと、いま「起こり得なそうな土地」として表参道と丸の内を挙げてみてわかった。川崎なら、ありえる。大阪の道頓堀のあたりでも起こり得そ

『上達』#315

この300くらい書き溜めてきた文章で、わたしは何をしたかったのか。文字書きのスピードアップか、思考の整理か、文章記述の上達か、はてさて。そういう前向きで外向きな目標を書いてみても自分のなかではまぁハッキリと正解というか本音があるわけで、無駄に書き連ねた3つを破棄した上で「暇つぶし」と断言する。正確には「暇」というよりは「持て余す時間と脳みその外部変換」とでも言う、と、多少はそれっぽくわかりやすく正確になるかもしれない。 この期間に何かが上手くなった気はしない。いやそれも嘘か、

『やどかり』#314

幼い頃、水槽にやどかりを飼っていた。なぜやどかりを飼い始めたのかはさっぱり覚えていない。ただ、「人が住まない家はすぐに駄目になる」ことと同じ理屈で、はじめにすくってきた金魚を飼い始めて用意した水槽が空になってしまったとき、何かの拍子で巡り合ったやどかりに白羽の矢が立ったとか、そういう大人側の事情があったんじゃないかとうずらぼんやりと推察する。 何も、いまその回想をしているのは子供時代のことを語りたいわけではない。 先日まで読んでいた『生物からみた世界』にヤドカリが登場したのだ

『土踏まず』#313

先の『母指球』の話では、運動するときの足裏の力の流れを書いたけれど、そのときにじゃあ、力を地面に直接伝達することのない、土踏まずはいったい何をしているのか、気になるところ。土、踏んでないんだもんな。 答えに近づくフレーズになるが、ときどき土踏まずは、足裏のクッションと呼ばれているのを見たことがある(呼ばれる、のを、見る、ってヘンテコだけれど、書かれているというほど論理的な文章ではない記憶なので、軽く)。走るときの足裏での荷重の流れは、踵から外側を通って指の付け根の肉球っぽいと

『母指球』#312

それって何のこと?って思う人もいるだろう、それって足のどこのことだっけ?って思う人もいるだろう、「母指だから、人差し指の付け根かな」って思う人もいるだろう、ここは、足の親指の付け根のふっくらしたところのことだ。そこで立つのが、バランス良く立てて良いとされる重心の位置だ。 ここ最近のランニングで、足裏の体重移動をかなり意識している。踵の少し外側で着地してすぐ土踏まずの外側、足裏の踵とつま先を橋渡しするところへ荷重は移動し(その橋渡しのところを「ブリッジ」と言うとか言わないとか)

『地震』#311

この通し番号からは、これかなと、直感的・反射的に打ち込んでいた。地震がこの311って数字を特別にした。 それからの約8年間、何度か記憶に残る大きな地震があった。続く余震も加えて長野、熊本、そして今年は北海道の胆振。海外のスマトラやペルー、イタリアでもあったかと思う、けど、どの地震も、わたしは情けないことに日付を覚えていない。1995年1月17日の阪神淡路は、体験として残っていない歳だったけれど、これは発災の日付は覚えている。「風化させない」と言葉にされること多く何度も思い出す

『摩擦』#310

接しているあるものとあるものが擦りあわされる、そのこと。摩擦力、とすればまだ、接しているあるものとあるものをそれぞれ異なる方向に力を加えたときにその反対方向にかかる力、と、それなりに言葉にすることに躊躇いはないけれど、では摩擦とはなんですか、と言われると摩擦力から説明を始めたくなる。こすり合わされること。そうじゃないのかな。 そうして問答していて、じゃあそろそろと調べてみた。端的に言えば、「摩擦力がはたらくその現象のこと」と。ある意味、そう、この意味、摩擦力ありきの言葉なのだ

『スーパーあずさ』#309

私にとって「幼い頃から名前を知っていて、触れたこともあって、それ自体をよく知っているかのように思ってしまうけれどあまりよく知らないもの」の筆頭。スーパーあずさ。 東京方面と信州方面をつなぐ特急列車で、特急あずさより何かが上のランクなのだとは知っている。紫と白のカラーリングで、特急あずさのベージュと臙脂色のカラーリングから刷新。でも、そのことぐらいしかわからない。特急列車らしくボックス型の席配置で窓際には缶ビールと小さな食べ物を置くくらいのスペースがあって、特急列車らしくドアは

『囲炉裏』#306

こたつ、と同じくらい郷愁を沸かす、古い家屋の居間にあるアイテム。こたつと同列にするには時代感がズレてくるので、郷愁と一口に言っても内実はいくらか違う。こたつであれば、わたしだって父母だって祖父母にだって、逆に今の子供の世代にだって「昔からあるし、今もある」アイテムだ、こたつ。あたたかいね。一方の囲炉裏はといえば、わたしにとっては「古民家」あるいは「歴史遺産」だし、父母からしても「昔家にあった」か「昔家にあったらしい」くらいで、どうもリアルタイムを味わっている世代ではない。地域

『胃袋』#305

わたしの胃袋はどうやら、手のフィット感が優れているらしい。容易くガシッと掴まれる。 慣用句として「胃袋を掴む」という言葉があるけれど、限定的な一人と限らず、誰かとご飯を食べることのその心地よさ自体、そこからして愉快な感情、ハートと一緒にストマックを私は掴まれやすい。恋人にも友にも仕事相手にだって。いや仕事相手に胃袋つかまれてどーすんの、なんか変でしょそれは、と思うところだけれど、「胃袋を掴む」ってじゃあどういう意味よ、っていえば、「ある相手が料理上手で、そのひとの料理に惚れ込

『室』#304

これ単体で使うことはあまり無くて、室の前に機能を表して住宅や学校などで使われる呼称の寝室・浴室、教室・理科室・職員室、病室や会議室なんかもある、そのような使い方をしたり、部屋番号を伴って◯◯◯号室、とか。室、と部屋、は言葉の使い分けをするうえで共通するのは1つ1つの空間を個々に数える最小単位(これは相対的なものであるけれど)であること。 住宅において、リビングとして使う一室は狭いよりも広い方が好ましい。キッチンはカウンター上が狭いよりも広い方が好ましいし、調理動作をするための