見出し画像

ネガばかり見るのは厳しさゆえなのか?

人の良かったところをミーティングで挙げる。
そんな職場にいたことがあります。

ある日、進行の人が「良いところを挙げてくれること自体が良い」とまとめていて。
この人は人に好かれるだろうなぁ、と思ったのでした。

良いところもそうでないところも

きっと普段から良いところを見ようとしているんだな、とも感じて。
大らかな印象を受けました。

でもそれだけじゃなくて、良くないところははっきりと指摘できそうな。
そんな厳しさ・シビアさもありそうだったんです。

想像ですけど。

厳しく見る、は粗探しではない

とまあ実は今回厳しさの話なんですが、「厳しく見る」って粗探しのことではありません。
むしろフラットに見ることなんですよね。

粗探しをしたい時、自分に対しては甘くなっていて。
言ってしまえば悪い方を見るぞ、と決めちゃっているので。
そうすることはラクですが、本当に厳しいの?と言われるとツッコみたくなってしまいます。

良い方も悪い方も見る場合は、自分の見方すらチェック対象になって。
その分厳しさ度合いも高いって寸法です。

自分への粗探しもあまり意味はない

正直粗探しの声って、あまり聞くべきところがないよなぁ、と思ってしまいます。
その人が気持ち良くなりたいだけ、かもしれなくて。

その流れで言えば自分自身への粗探しもまあ、あまり意味はないですね。
反省した気になって終わってしまうやつです。

余談ですが、「反省」って単語には何かネガティブなイメージがあるんですよね。
ネガティブだけの言葉じゃないのはわかるんですが。
「振り返り」だとフラット感があります。

それはそれとして。
「厳しい自分」に酔ってしまうのは、プラスにはならないかなぁというのが今の私のスタンスです。
自分だけで生きてる訳じゃないですから。

否定がかっこいいとは限らないし、肯定がかっこ悪いとは限らない。ってことで。

読んでくださりありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?