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新たな生活の始まり

新型コロナウイルスに世界中が苦しみ始めて3年目に入った今、多くの人がコロナの蔓延を恨み、一刻も早い収束を願っています。
しかし、本当にコロナはただの悪者なのでしょうか。私たちにネガティブなものしかもたらさないのでしょうか。コロナもきっと何かしらプラスの面も持ち合わせていると思った私は、主に東アフリカで活動する日本人から、コロナをポジティブにとらえる方法を学ぼうとしています。

第13回目はルワンダでURUZIGANGO Ltd.という会社にて通訳、コンサルタントなどを行う傍ら、ルワンダのダンス業界を盛り上げようと活動されている大江里佳(おおえ さとか)さんです。

大江さんは高校2年生の頃からLockダンスを習い、東海大学でも、教養学部国際学科で国際学を学びながら、ダンスサークルに所属します。大学のプログラムとして海外研修があり、そこでルワンダに渡航したことが、大江さんとルワンダの最初の関わりです。ダンスを通じてブラックカルチャーに興味があった大江さんは、現地でアフリカの人々の生活や文化を実際に体験し、ルーツとなる彼らのダンスを見て感銘を受けました。卒業後は2年間東京で働きますが、ルワンダでの経験が忘れられず、アフリカと関われる方法を探すため、青年海外協力隊(現JICA協力隊)に挑戦します。任地になったのは見事ルワンダでした。町役場の水衛生職員として、啓発活動や衛生指導を行います。協力隊員として活動する2年間の中で、現地の*アフロダンスチームAfro K.A.S.Aと出会います。(旦那さんはそのメンバーの1人です!)その後も協力隊時代の知識や経験を活かし、JICAの短期ボランティアや、現地NPO Think about education in Rwandaでの駐在員を務めながらダンスを続け、2019年1月に上記会社を設立し、現在に至ります。

*アフロダンスとは、アフリカから発祥したアフリカ由来の近代ダンスの総称です。アフリカの様々な国の伝統ダンスなどから発展してきたものもあり、全てをまとめたもののことを言います。西欧ではかなり有名になっていて、有名な歌手なども取り入れているそうです。

大江さんにとってのコロナは「生活を新しくする」期間だったそうです。

現地スタッフとしてJICAの地方給水の技プロで働いているときの現場での活動の様子
コンサルタントとして働く地方給水プロジェクトの活動の様子

大江さんは、コロナが騒がれ始めた2020年2月に、第一子である息子さんを出産しました。その後すぐの3月にはルワンダで本格的なロックダウンに入ります。出産は問題なかったものの、それまでやっていた仕事は出産に向けて一旦やめており、またコロナによりツアーや通訳の仕事は一切なくなったため、なんと半年ほど無職状態が続いてしまいます。そのため約2か月のロックダウンを含めた半年間は、貯金を切り崩して生活していたそうです。ルワンダは生活費がそこまでかからないため苦しくはなかったそうですが、仕事がないためずっと家にいる日々でした。その中で、「コロナ下の状況が明けても同じような仕事を続けていっていいのか」という思いに至ります。というのも、これまで大江さんは、言ってしまえば「何でも屋」であり、他の人の仕事の手伝いや仲介役をする仕事が多かったのです。楽しくやりがいのある仕事だったそうですが、自分の事業ではないという弱点がありました。

一方で、大江さんはルワンダの公用語であるキニャルワンダ語を喋れることができ、周りからも「他の人に教えたらいいのに」と言われていたため、その強みを活かして仕事を作れないか、とずっと考えていたそうです。しかしこれまでは、自分で話せるということと人に教えることは違うため準備が必要だと考えており、日々の忙しさから手を付けられずにいました。コロナ禍によってほとんどの時間を家で過ごすようになり、挑戦してみることにします。

5月ごろにキニャルワンダ語の教科書を作成し、かつて隊員だった縁もあって、当時日本で待機していた新協力隊員にトライアルとして教え始めます。希望者を募った結果、ほとんどの新隊員が受講してくれたそうです。半年間のトライアルの間は教科書を作りながら無料で教えます。トライアル終了後も続けたい人からはレッスン料をもらい始め、周りにも宣伝して本格的に開始しました。現在ではプライベートレッスン、グループレッスンを提供し、好評なようです。仕事が何もなくなり、時間が出来たからこそ考えて始められたことであり、「コロナ禍でなかったらこれまで通りの仕事を続けていたと思う」と振り返りながら話してくださいました。

家族写真
大好きな家族との写真

また時間が出来たことで、家族との時間もたくさん取れたそうです。特に生まれたばかりの子どもとの貴重な時間を持てたことは、大江さんにとって良かったことでした。出産によって仕事の休止など生活が変わっていたタイミングでコロナが始まりました。もしコロナが無かったら、出産後は仕事をすぐに始めていたかもしれないと言います。ルワンダにはお手伝いさんがいるため、子どもを育てることに関しての支障はないかもしれませんが、そうであった場合、子どもが小さい間に一緒にいる時間はほとんど失っていたでしょう。コロナ禍でキニヤルワンダ語のレッスンの仕事はあっても、オンラインのため、子どもが一歳になるまではずっと家にいたそうです。このように夫も含め、家族との時間が出来たことで家族と向き合えた、と話します。

コロナ禍で、仕事・プライベート共に新たなスタートを切った大江さんに、コロナによる制限下での生活が終わった後の計画をお聞きすると、「ダンススタジオをつくりたい」と答えてくださいました。

ダンス
ダンスパフォーマンスの様子(写真中央:大江さん)

ルワンダには、本格的にダンスを習えるスタジオはなく、あったとしても外国人オーナーだったり、エアロビやフォットネスなどに限られています。ルワンダ人ダンサーからしっかりと学べるようなダンス専門のスタジオはありません。大江さんが関わっているプロのダンスチームのメンバーも、ルワンダで学べないようなジャンルは、YouTubeなどで独学で学んでいるようです。ルワンダにおいてはダンスはまだまだ発展途上で、現在20代後半の人がダンスを本格的に始めた最初の世代だそうです。みんな若いため、動画だけでもうまく吸収し、時代に乗ることはできていますが、教えてくれる人がいないため、プロとして向上していくのは難しいです。そこで大江さんは、ダンサーがスキルを安心して磨ける場所、また彼らがこれから活躍していける場所を作っていくために、スタジオを作る計画を立てています。最終的にはルワンダでダンサーが職業として認められて、彼らがプロとして活動していけるようになって欲しいそうです。 

コロナ禍、ダンサーたちも練習が出来ない、ステージがなくなるなど影響を受けました。もともとアフリカでは仕事としてダンサーをやることは難しいため、仕事が完全にゼロになることは大きなダメージでした。プロダンサーだけでなく子ども達も、ダンスを通じて人と会い、学んでいたため、その貴重な機会を失ってしまいました。この現状に大江さんは「ダンススタジオを作りたい」という気持ちをさらに強く持ち、コロナが落ち着いたら行動に移したい、と話されていました。上述したように、誰かを手伝う形の仕事しか持っていなかった大江さんは、コロナ禍で、自分のビジネスを始められないかと考えたそうです。「どうせなら気持ちを込めてやれる事がいい」と思いついたのがダンスでした。ずっとダンスをやってきており、夫もダンサーであるため、ダンスに関わるビジネスを始めたいと思ったことも、ダンススタジオ計画の動機の一つのようです。

またプライベートでは、コロナ禍に生まれた子どもをご両親に見せることが今後の計画の一つだと言います。まだ一度も会えていない孫の姿を見せるのが、帰国することの一番の楽しみだそうです。

大江さんには、コロナ禍でも新しいことに挑戦することで、コロナ以前より良い方向に持っていくことが出来ると教えていただきました。オミクロンが流行り、また世界中で閉鎖的になってきていますが、私も挑戦を止めないようにしたいと思いました。

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