仮眠時間と休憩時間の区分を考えてみた

4月14日、会社に請求書を送りました。
雛形は無かったので、ネットから残業手当請求の雛形を少し変えて、仮眠時間にし、〇〇万円を1週間以内に支払ってくださいと請求しました。

その後会社から話し合いがしたいと、手紙が来ました。内容としては「あなたは大星ビル管事件を言いますが、労働を否定されたビル代行事件などもあります、調査して話し合いの場を設けたい」
との事でした。

さて、会社との話し合いの前に少し簡単に、自分が考える今回の件の正当性を主張したい。
これ長くなるので、仮眠時間の労働性に興味がない方は読み飛ばして大丈夫です。まあ他のも読み飛ばして良いんだけど😆(ちなみに素人が書いたので責任はとりません)

仮眠時間の労働性を認めた、大星ビル管理事件だが、この事件、一見労働者に有利に見えるが実は不利な判例です。

理由は、本来労働性を判断するにあたり仮眠とか食事とかの状態で判断しないはずだからです。

指揮命令下にあるかどうかが判断の基準なのです。(ですので着替え時間も労働と認められた裁判もあります)
ですが、大星ビル管事件ではこう言っている。
「所定の作業は、その必要が生じた場合に限られるとしても、その必要が生じることが皆無に等しい等、実質的に義務付けがないと認めることができるような事情もない」
逆に言えば実質的に義務付けが無いと、認められれば労働じゃありません。
と言う事です。

それで負けた事件がビソー工業事件です。
これは仮眠時間中も他の人が作業していて、仮眠している警備員には実質的に義務付けが無かったと判断された事件です。 
他の人が対応していたから、仮眠していた貴方達は対応する必要なかったでしょ?(頻度の主張が行われた)だから労働じゃありませんってことです。

ではこれを電話に例えましょう。(何かあったら所定の作業をすると言う意味では、電話も警報も似ています)
昼休みだと仮定してください。
「携帯電話もって自由にしてていい、ただ連絡があったら、対応してください」これは昼休み全部が労働ですか?多分多くの人が違うと答えるでしょう。
そう、頻繁に呼び出されてろくにご飯も食べられないならともかく(ここでは頻度が重要)
電話がかかってこない限り拘束を逃れて自由にしていられる。喫茶店も行けますから。
呼出されて業務についたらそこから仕事だと言う人が多いと思います。

固定電話で「大切な電話が掛かってくるから電話の前に居て必ず出ろ、飯は俺が買ってきてやる!」
これはどうですか?実際には一度も電話が掛かって来ないで、ご飯が食べられても、多分労働と答える人が多いのではないでしょうか?実際そんな事件もあります。
これは他人に命令され(そこに居ろ)指揮命令下にあるからです。
全体的な指定である固定電話と、一時的な指定である携帯電話の違いですね。

では、電話線が切られてたら?そしてそれを知らなかったら?
これで、その必要性が生じることが皆無になります。

これ多分、仮眠だったら労働性を認めるのは難しい案件かも知れません。拘束されててもその必要が皆無と言う条件に当てはまりますから。

だが、昼休みなら労働になる可能性が高いです。単純にそこに居ろという指揮命令下で自由を封じられるからです。
そう考えると大星ビル管事件が労働者に不利だと言うのがわかってもらえたと思います。 

では僕の場合ですが、まず、業務委託契約書(委託先から努めている会社に対しての契約書)
で1名必ずいる事と命令されてました。
実際口頭での指示もありました。
(ここで勝手に帰れって思う人が居ると思いますが、その場合職場放棄になる可能性が高いです)

その様な命令があり、夜は1人勤務でした。(1人であれば当然何かあった時に対応しなくてはいけない)
そして警報装置のすぐ側に仮眠場所は固定されてました。(他に静かな寝場所もあったが監視室を空ける事は許されなかった)
そして緊急対応は1年に1回か2回。
これが労働に当たるかどうかです。

義務付けがあり命令下にあり、皆無では無かった。どうです先程の大星ビル管事件の判決文
「仮眠時間に労働契約上の役務の提供が義務付けられている場合は、労働から離れることが保障されているとは言えず、従業員は会社の指揮命令下に置かれているものと評価できる。
〜中略
所定の作業は、その必要が生じた場合に限られるとしても、その必要が生じることが皆無に等しい等、実質的に義務付けがないと認めることができるような事情もない。
以上より、本件仮眠時間は、全体として労働から離れることが保障されているとは言えず、労働契約上の役務の提供が義務付けられていると評価できる。」

どうです?僕の場合労働に当たりませんか?
皆無ってゼロってことです。
実際にゼロだったではなく、生じる可能性がゼロに等しいかです。

そこで探してみるとよく似ている事件にジェイアール総研サービス事件がありました。
緊急対応は年に一度か二度、着替えて良い。ただし何かあったら対応してください。で高裁判決で労働者が勝った事件です。

。。僕は僕のやってきた事は労働だと確信しています。


ちなみに、頻度に再度言及しますが、
実際頻度が問題になるのは、携帯電話のような例です。または他の人が対応出来た場合。
自由で拘束されず好きにできて、単に何かあったら対応するだけ。
(他の人が対応出来てても、あまりの頻度で呼び出されたら労働だし、携帯電話でも同じですね)
実際の裁判でも、まず義務付けやその他の状態(自由だった等)で実際の指揮命令下にあるか確認してから、頻度を考えている節があります。

指揮命令下にあり、拘束され、緊急対応を否応無くしなくては成らない状態にあるのであればそれは労働だと考えます。
この件について件の弁護士が御自分のブログで、ひとりで仮眠なら労働時間だと思うのは早とちりです、と多分僕の事を書いてましたが、果たしてどちらが早とちりなのでしょう。
他の事件、待機場所で自由だった事件を持ち出して労働密度などと言うのは、ひとりで警報装置に拘束され、全体的に命令下、義務下にある僕の事例には決して当てはまりません。

労働頻度だけで判断するのはそれこそ早とちりなのです(弁護士は労働密度だけで否定した)多くの条件や状態を勘案しなくてはなりません。
まあ件の弁護士と関わっても一銭にもならないのでこれはこの辺で。

次に続く

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