スーパー戦隊シリーズを今後も続けていくんだったら、いい加減魅力が全くない今の戦隊レッドをどうにかしろ!
スーパー戦隊シリーズを語る上で欠かせない要素は何と言っても「戦隊レッド」であるわけだが、どうも『百獣戦隊ガオレンジャー』(2001)以降の戦隊レッドが全然かっこ良くない。
今配信やってる中で『忍者戦隊カクレンジャー』(1994)は決して評価は高くないまでも、こないだも述べたようにニンジャレッド/サスケのキャラ自体はなかなか捨てがたいものがある。
それに『未来戦隊タイムレンジャー』(2000)のタイムレッド/浅見竜也も優しい好青年というだけではなく、凄く思慮深く繊細な気遣い屋で仲間のことを思いやる優しさが自然に描かれていた。
まあタイムピンク/ユウリやタイムブルー/アヤセが尖った一匹狼タイプだからというのもあるが、竜也は歴代の中でもギンガレッド/リョウマと並んで特に「優しい」人である。
で、更にいえばそんな「優しさ」だけではなくいざって時にはメンバーを鼓舞するし、いざという時には一人で格上の強敵に敢然と立ち向かう格好良さだってあった。
けど、今の戦隊レッドにはそういう「格好良さ」が全然ない、メンバーを鼓舞して引っ張っていく勇敢さもなければ、表面上だけではなく行動や立ち居振る舞いの1つ1つに「美学」が感じられない。
以前にある方から「今の戦隊レッドは少年ジャンプやコロコロコミックの主人公みたいなのばかりだ」というコメントを頂いたのだが、本当にその通りなのだと思う。
いわゆる「体は大人、頭脳は子供」の逆コナン現象であり、今のスーパー戦隊のレッドって本当に表面上のことしかわかってなくて、自分が何をすべきなのかという優先順位をつけられない。
熱血してるのも上辺だけで、思慮深い主人公にしようと思ったらシンケンレッド/志葉丈瑠やレッドバスター/桜田ヒロムみたいなド陰キャかジュウオウイーグル/風切大和のような気苦労の多い若干ヘタレな奴にするしかない。
親友の黒羽翔さんも「今の戦隊レッドは本当に無理、役者のビジュアルも演技も幼いし生身の人間が演じてる感じがないもん」と言ってたが、「タイムレンジャー 」までの戦隊レッドと大きく違ったのはそこである。
それこそ「冒険バカ」ことボウケンレッド/明石暁にしたって、あれは表面上は「できる大人」「頼れる上司」と設定されているが、その実は冒険のことになったら仲間のことなんて二の次三の次のゲス野郎だ。
TASK11『孤島の決戦』が典型だが、彼は仲間たちにヒントだけを残しておいて自分はさっさと美味しいところを独り占めしようとし、さくら姐さんに正拳突きを食らわされている。
やたらと00年代戦隊でファン人気が高いチーフことボウケンレッドだが、私が彼の人物像を奥底から好きになれないのはその「仲間のことすら冒険となったらどうでもいい」が根底にある。
で、それだけならまだしも都合のいい時だけ「できる上司」みたいな感じを出そうとする二枚舌っぷりに余計に不快な思いをさせられずにはいられないのだ。
何が気色悪いといって、少年ジャンプやコロコロコミックの小学生主人公感というか、幼い子供が幼稚な正義感を拗らせたまま、それを正義と信じて戦う様を戦隊レッドに持ってきていることである。
代表例は大長編ドラえもんにおける理想化されたのび太くんやジャイアンがそうだ、あそこに描かれているのは「ガンダムZZ」のハマーン様が侮蔑していた「賢しらな俗物」だった。
そもそも「ドラえもん」自体が「子供騙し」の典型としてファンからもアンチからも揶揄されていたが、他にもこしたてつひろの「ドッジ弾平」「爆走兄弟レッツ&ゴー」や「ベイブレード」なんかもいい例である。
他にも、アニメ版の「ポケモン」「デジモン」「ベイブレード」で活躍する少年主人公はほとんどが「賢しらな子供」であり、人生経験も浅いくせに言うことだけは一丁前の男ぶっているのだから。
そんな中でも大長編ドラえもんは作者が決して得意としていなかった勧善懲悪のヒーローものに迂闊に手を出して、「ドラえもん」を陳腐な英雄物語に貶めてしまった反面教師である。
私が大人になって「ドラえもん」や大長編を見直した時に「なんでこんな下らない情報価値の低いものを面白いと思って読んでいたんだろう?」というある種の自己嫌悪に襲われた。
まさかそれと似たような気持ちをスーパー戦隊の、特に作品の顔にして象徴である主人公のレッドに対して抱くようになるとは思わなかった、「ガオレンジャー」を見るまでは。
スーパー戦隊が「玩具販促のための物語」という、かつての大長編ドラえもんや後期の『ドラゴンボール』が陥ってしまった罠にまさかハマるなどとは思いもしなかったのである。
そしてこれは何も印象論ではない、もうかれこれ3年近く前になる東京国際映画祭での「ガオレンジャー」のトークショーの31:40辺りからこんな発言をしていた。
これ、役者たちも自虐気味に「そうです、全く力のない役者たちだったと思います」みたいなことを言っていたが、「ガオ」のファンはもっとこれ怒っていいんじゃないのか?
とんでもない暴言だぞ、要するに日笠Pは「ガオレンジャー」という作品において変身前や変身後の等身大のキャラのドラマやアクションなど売り物ではないと言い放ったも同然である。
フォローこそ若干していたが、実際に出来上がった作品を見ると本当にその通りで、スーパー戦隊の最大の売りだった「5人のキャラの個性とチームワーク」と言う特色を捨て去った。
それから「合体前のメカを全てCGでやるみたいな新機軸」と言っていたがこれは決して目新しくもなんとも無い、海外の「パワレン」の映画版(1996)がそれを先にやっている。
そしてもう1つはお隣の平成仮面ライダーシリーズが『仮面ライダークウガ』(2000)を分岐点としてシリアスで重厚感のあるドラマを展開していくことになったのも影響した。
その結果としてスーパー戦隊は過剰なまでの「わかりやすさ」を重視した結果、それが少年漫画の「中身のない熱血」と一体化を果たし、作品の象徴である戦隊レッドを幼稚化させたのである。
もうすぐ配信を終えようとしている「ゴーオンジャー」のゴーオンレッド/江角走輔なんて正にそれで、00年代に台頭した「バカレッド」では「ニンニンジャー」のアカニンジャー/伊賀崎天晴と双璧を成す。
他の戦隊レッドもここまで極端なものはないにしても、やはりかつての戦隊レッドに比べて落ち着き払って大局を見据えながら巨悪に立ち向かう凛々しさ・格好良さは皆無である。
それに加えて以前も述べたように今のスーパー戦隊はピンチになったら直ぐに新武器や新形態・新メカといったものに頼り、格下相手には強く出るのに格下相手には腰が引けている。
「地元じゃ負け知らず」な田舎のマイルドヤンキーがその感覚の延長線上で、力のみを膨れ上がらせきちんとした薫陶も受けずに育った結果がいわゆる「バカレッド」に代表される「ガオ」以降のレッドなのだろう。
こちらの動画でも解説されているが、私がなぜ「ギンガマン」をスーパー戦隊で今でも最高傑作と個人的に思えるのかというと、原初的な強くて優しい、子供たちが「自分もなりたい!」と心から思えるヒーローだからに尽きる。
チャラチャラした上辺だけの雰囲気イケメンが演じるヒーロー気取りが見たいんじゃない、強くて優しい芯のしっかりしたシンプルかつ大胆な格好良さを持った戦隊レッドや戦隊ヒーローが見たいだけなのだ。
今放送中の「キングオージャー」もそうだが、今のスーパー戦隊はどうにも「強くて優しく、熱い想いを秘めて戦うヒーロー」に対して、あまりにも解釈違いを起こしたり斜に構えすぎていたりしていないか?
「戦隊とは何か?」「ヒーローとは何か?」なんて抽象的な問いで難しい理屈をこねくり回す前に「これが戦隊だ!」というシンプルでストレートな強い戦隊の「現在」を見せてみろってんだ!
そのためにもまずピーターパン症候群丸出しのみっともない戦隊レッドをどうにかしやがれ!
以上
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