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ちはるちゃん

わたしは幼い頃に、転勤が多い父親と札幌に住んでいたころがありました。

母と電話をしているときにその話題が出ましたので、

『あの頃のお正月にちはるちゃんって言う女の子と遊んだよ』
と、話しますと、母はそんなことはないと言うのです。

『本当だよ、あの社宅の隣かそのまた隣に住んでいて、お正月にお父さんもお母さんも親同士で呑んでいたときに、一緒に遊んだよ』と、わたしも負けずに言いました。

『おかしいわねー、
あの隣に住んでいた人とは今でも年賀状を出しているけどMという男の子しかいなかったはずよ』と、首を傾げるのです。

『同じ社宅にいた女の子じゃないの?』と聞くと、
『お父さんの会社の人ばかりだったから、
みんなで雪かきしたりとうもろこし茹でたりしたけど、ちはるちゃんという女の子はいなかったわよ』
と、母親は大真面目に話すのです。

わたしはスーっと胸が冷たくなる気がしました。

『隣か、そのまた隣の家に入って、
ちはるちゃんと、みんながまだ寝ているときに大人が食べ残した焼きジャガイモを半分にして食べたんだよ』

母はいよいよ薄気味悪がって、父親にも尋ねていました。
『全部で12世帯くらいの小さい社宅だったけど、
そういう飲み会をしてもどこの家にも大きなストーブがあるから、ひゅうが一人を残して飲み会にも行ったことはない』と言うのです。

父も母も、まだ認知症にはなっていません。
それどころか、父はクロスワードパズルを得意としており、サクサクとそれを解いてしまうほどなのです。

わたしが会っていたちはるちゃんとは、いったい誰だったのでしょうか?

たしかに切れ長の大きな目をして、おさげにしているちはるちゃんと一緒だったのです。

親たちがいなかったので、二人でお人形で遊び、
ちはるちゃんの家に行って、ストーブの上に残っていたアルミ箔に包まれた焼ジャガイモを半分こにして食べたのです。

それはわたしが初めて食べた焼ジャガイモでした。
大人に隠れて食べる美味しさのようなものを感じたのを、はっきりと覚えています。

結局、両親はちはるちゃんという女の子はいなかったと言い、
わたしは消化不良のまま、電話を切りました。

わたしはそのときの、ちはるちゃんの服装も覚えているのです。

黄色と緑のセーターを着て、スカートをひらひらとさせて、わたしと遊んでくれたのです。

と、書いていて気がつきました。

北海道の札幌は寒いので室内は、驚くほど暖かいのですが、ちはるちゃんが薄着だったことにです。

だいたい女の子でも冬にはタイツを履いて、ズボンを履かされていました。

と言っても、それを証明する術はわたしにはありません。

あのちはるちゃんは、どこから来たのでしょうか?
それとも座敷わらしだったのでしょうか?

わたしがまだ3歳のころのお話です。

みなさんは信じますか?
それとも、わたしが白昼夢をみていたと思いますか?