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57日目 涅槃会から始めよう

ハロウィンがおわった。今年47歳にして初めてハロウィンパーティーを体験したが、地元の村には奇妙な風習があった。子どもが村中を回るのは一緒だが実施するのは2月15日前後の土日。いわゆる涅槃会だ。お釈迦様が亡くなった日に感謝する日となっている。「ねはんこう」と呼ばれていた。トリックor トリートのような唱えもある「ねはんこーじ、こめならいっしょ、ぜんならひゃーく」米なら一升、銭なら100円ということらしい。

中学2年生までの男児だけで一輪車に米袋と集金袋を積んで回る。各家はお米と1000円〜3000円程度のお金を渡す。それを集めて「その年の宿」当番になっている家に集まりご飯を食べる。年長者は「親」と呼ばれ、すべてお金の分配額を決定できるのだ。それゆえ「親」には絶対服従という恐ろしいシステムでもあった。「唱えの声が小さいと500円ダウンな」「一輪車を持って歩いたから1000円アップやで」とかいう具合でさじ加減が変わる。本来はそんなヒエラルキーはなく、一種の大人への通過儀礼だったと思うが、とにかく早く「親」になりたかったものだ。

「親」になると役割がある。お釈迦様の掛け軸がある集会所(寺は廃寺になったため)に集めたお米で炊いたご飯を持っていき、線香を立て灰が落ちたご飯を持って帰る。おそらく、これはお釈迦様のお骨の分配を模しているのだろう。この灰かぶりのご飯をどれだけ食べられるかで、分配金の金額は上がる。そして最大の役割は「お金の分配会議」である。結構な額のお金が机上にあがる。ここにも大人は一切関わらない。「親」になると年少の子どもたちに大人ぶりを見せつけようと必死でウォークマンを持っていったり、漫画を持っていったりした。私も洋楽を聴いているのを見せつけたかったのだろう「The police」のベスト盤をカセットテープに入れて持っていった。

今では子どもがいないためこの風習もなくなった。恭子さんにこの話をすると「それは日記に書き残しておいたほうがいい」と言われたので書いてみたというわけだ。とうわが生まれた年にはまだ涅槃会がかたちだけ残っていて、「とうわへの分配金」も預かったと父から渡された。

そんな涅槃会のことを療育センターに行くバスのなかで考えていると「今日から11月?」と、とうわに聞かれた。「そうだよ」と答えているとセンターから「今日は理学療法と作業療法がある日で1時間早い日だ」と電話があった。しまった、今日は第一水曜日だった。

20231101

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