好きな音楽

noteを始めたけど、最初何を書こうか決めれないから大好きな音楽との出会いについて書こうと思う。

僕は音楽に出会えたことをとても感謝している。それまで、何も武器を持っていなかった戦士が最強の剣をゲットしたくらい人生を変えてくれたからである。

僕が音楽にどっぷりハマったのは高2の頃である。小学生の頃は、親の影響でゆずを聴いていたが、それ以外はほぼ何も知らなかった。流行りの音楽、テレビで流れてくる音楽を聴くくらい。

中学校では、適当に決めたテニス部をこなし、家に帰って、大して上手くないゲームをひたすらにやっていた。友達といえる人もいなかったと思う。高校でもテニス部に入ったが、何かもっと自分がやりたいことをしたいと思い、高1の冬に辞めた。そして、父親の知り合いからエレアコを3万で譲って貰い、ギターを始めた。ここが僕の最初の転機である。最初は、YouTubeや本を見ながら見よう見まねで練習していたが、飽き性なので続く訳もなく、ギター教室に入れてもらった。親には感謝している。

最大の転機は3月である。自分の誕生日を少し過ぎたくらいの頃に、たまたまYouTubeでリュックと添い寝ごはんというバンドのノーマルのMVが流れてきた。なんてことの無いサムネではあったが、なんとなく見たくなった。衝撃を受けた。自分が触れたことのないバンド、しかも世間的に見たら全然知られてないバンドなのにこんなに良い曲があるのか。この衝動を大事にしたいと思った僕は、リュックと添い寝ごはんの曲を全て聴き、リリースしたてのCDを買った。彼らは高校を卒業したばかりらしい。これがリュクソとの、バンドとの出会いだった。これから僕は色々な音楽と触れ合うようになる。リュクソとその周辺のバンドを聴き漁ったり、たまたま見つけた小林私の配信を毎日食いつくように見てた時もあった。ヤバTと出会ったのもこの年の夏だった気がする。また、自慢ではないが、今となっては誰もが知っているヤングスキニーのボーカルかやゆーがソロで弾き語りをしている時に僕はもうその才能に気づいていた笑。初弾き語りライブの配信も見た。

ただ、僕にとって悔しかった事がひとつある。この頃はコロナ禍だったということ、田舎に住んでいたこと、高2だけど勉強が忙しかったこと。色々なことが重なって、僕はライブを見に行くが許されなかった。とても辛かった。大好きなのにイヤホンからしか聴くのを許されない現実、Twitterを通して仲良くなった友達がライブに行っているストーリー、全てが悔しかった。僕は、絶対に都会の大学に入って、沢山ライブに行くと決めた。自分が受験勉強を頑張れた理由はどこを探してもこれしかない。

結局行きたかった国公立には行けなかったが、大阪の大学に合格することができた。そして、初ライブは4/24になった。リュクソとチリビの対バンだった。何もかもが夢の世界だった。2年間我慢してきた全てを見ている。目の前にリュクソがいる、松本ユウが歌っている。涙で前が見えないを経験した。こうして僕は貯金がなくなり、親に怒られるくらいライブに通うようライブキッズになってしまった。また、ギターの経験を活かして軽音サークルにも入った。

音楽は僕にとっては命の次に大切なものである。大袈裟ではない。音楽のお陰で、自分を創ることが出来たと思っているし、友達も沢山できた。ライブに行くモチベで毎日が楽しい。

音楽ありがとう。

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