【短編】病魔は目睫の間に潜む①

パズル


 私がこの病を発症したのは、中学校に入学して間も無くの頃であったと思います。当時の私は、入学式で男子生徒、女子生徒それぞれが全く同じ制服を着ていることに非常に感動したことを覚えています。というのも私が通っていた小学校では、児童はみんな思い思いの自由な服を着て登校していたので、全く見た目が様々でした。今思えば小学生の私は、そのことになにか違和感を抱いていたのかもしれません。そのため中学生となり、みんなの見た目が統一されたことで、まるで1つのジグソーパズルが完成したかのような…そうですね、ともするとあれは一種の快感に近かったのかもしれません。

 その運命の日から、私は「統一」という魔法にかかり、まずは身近なものから揃え始めました。授業で使うノートは、表紙になんの装飾もない無地で色は黒、サイズはB5のものを各教科で必要な数だけ用意し、鉛筆も持ち手の色を黒で統一、芯の硬さ・濃さはBを選びました。ノートのサイズがB5であったためでしょうか、HBは「H」という文字のあるために嫌悪感を抱き、2Bは数字が異なる点で避けました。それならアルファベットのみが揃っている方が良いということです。筆箱も黒色、下敷きも黒色で統一。非常に心地よい勉強道具達は、見ているだけで心が癒され、私はそれらを眺めてウットリするばかり…。授業の内容をツラツラと述べる先生の声は頭上をかすめることもありませんでした。
 そしてお気付きの方もいらっしゃると思いますが、見た目の統一感を求め始めてから私は、「黒」という色を好むようになりました。赤、黄、青。これら3色の交わりで此の世の全ての色は生を授かります。そしてこの3原色を混ぜて(統一させて)生まれる色こそが、黒色ということです。(正確には限りなく黒に近い暗い色ですが。)
 勉強道具を始め、通学用の自転車も、スクールバッグも……財布もスマホも靴下も私服もヘアゴムも……性徴期せいちょうきを迎えてほんのり膨らみ始めた胸を包むための、下着も、私は黒づくめの女でした。同級生からはよく「魔女だ魔女だ」と揶揄からかわれたりもしましたが、何とも滑稽な間違いです。私は魔法をかける側ではなくかけられた側だというのに………。

 私がこの病を発症してから3年、中学生の間は比較的この程度で済んでいました。この程度、というのは自らの所有物を統一することにこの上ない充実感を覚える程度、ということです。この段階であればまだ、「こだわり」の域に収まるものであったでしょう。ここからこの病は次の段階へ、がんになぞらえて言うなればステージⅠからステージⅡへ、その猛威を進行させることになりました。ぐだぐだと遠回しに話してもしょうがないですね。すなわち、「他者への強要」が始まったのです……。

 初めは些細なものでした。「サイズの違うノート達を使っていて、わずらわしくないの?」「私物の色が揃っていないのって、気持ち悪くない?」……。これは誓って言えますが、それらは嫌味ではなく、心の底から湧き出る純粋な疑問でありました。そして大抵の同級生は、「教科によってサイズや色が違う方が、分かりやすいでしょ」「そこまで揃える方が窮屈でしょ」などと言うのだから理解出来ませんでした。ごく稀に私と同じように、ノートやペンを統一させている子も居ましたが、私にしてみれば中途半端としか言わざるを得ません。なぜ勉強道具のみで留めているのだろう。B5のノートと2Bの鉛筆のような違和感、不快感、嫌悪感…。統一するならとことんしなければ意味が無いでしょう…?(ちなみにその頃の私は5Bの鉛筆を手に入れていました。これは勉強というよりは明らかにデッサン向きのものですが、そんなことはどうでもよいことです。まさか数字まで揃えられるとは思っていなかったため、見つけた時には喜びで心底震え上がったことを今でも覚えています。)

 高校生活が始まって2度目の春を迎えると、私の同級生に対する「疑問」はやがてさなぎになり、それは「怒り」へと羽化うかしました。形・色のバラバラな物を扱う彼らへの不満…。なぜ統一しない?なぜそんなに平気な顔がしていられる?私の方がもう耐えられない………。その頃には語気も荒く、「揃えろ」「統一しろ」という強い言葉を吐くようになっていました。でもそれには単純な「怒り」だけではない、周囲の人物を可哀想だ、と思う「憐れみ」が含まれていました。まだ彼らは統一することの快感に気付けていないのだ。この上ない喜びに出会えていないのだ…。そう思えば思うほどますます、心に抱いた熱を、私の口から彼らの耳へ押し込みました。
 そうして高2の夏休み明け、私は学年中の生徒からいじめられることとなりました。当然の成り行きですよね。思春期真っ只中の、まだ大人に成り切ることのできていない若者達なのですから。気に入らないものを排除するのは当たり前でしょう。無視や陰口などは日常茶飯事。椅子や机に「死ね」「消えろ」なんて落書きがあった日には、「こんなの漫画でしか見たことないなぁ」などと気楽に構えていました。どうして私がそこまで意に介さなかったのかといえば、それはやはり、「統一」という魔法のためでした。どれだけ虐められても関係ない。私のそばには美しく揃えられた物があったんですから……。それに、魔女が魔女狩りに遭うのは至極当然のことです。(勿論、私が魔女ではないことは前述の通りですが。)そんな私の態度に腹を立てたのか、初めは面白そうにしていた同級生たちの言動も、徐々にエスカレートしていきました。私を校舎の裏や公園のトイレに連れ込んでは殴る・蹴るの繰り返し。一部の男子生徒は私に思春期の欲情をぶつけることもしばしば。私の処女はいつ失われてしまったのかも曖昧になるほど、それらの暴行は続きました。それでも私は………、私は屈しませんでした。「私は何も間違っていない。間違っているのは彼らだ。統一することの甘美な誘惑にすら気付けないノロマ共だ……。」
 しかし私の学生生活は、半年以上続いた虐めを耐え抜いた先に、終焉を迎えることとなりました。高校3年生の春、受験生としての1年をスタートさせたその折、1人の女子生徒を、私が半殺しになるまで殴り続けたためです。

その日、私をどれだけ惨めにしても、心を狩り尽くすことが出来なかったので、同級生たちはこれまでにない、到底許されない極悪非道に走ったのです。それまでの虐めなど可愛くて仕方なく見える程の、圧倒的な悪行……。それは…、私の私物を絵の具で塗り潰すという行為でした。昼休みに中庭の隅の方にあるベンチでいつものように弁当を食べ終え、教室に戻った時、私の眼前がんぜんには形容し難い程の残酷な行為が映し出されていました。真っ黒に揃えられた私の大切なノート、ペン、スクールバッグが………。赤…青…緑…黄…白…橙…紫………。様々な色で塗りたくられ……それらが不均等な配分で不気味に混ざり合って…………!!
 私はその場で嘔吐しました。涙を浮かべながら、嗚咽をらしながら、嘔吐を続けました。込み上げる吐き気を抑えられず、もうすでに弁当は出尽くしたというのに、何度も何度も何度も何度も、胃液すら無くなって、喉は酸でただれて、それでも何度も何度も何度も何度も何度も………。その時の彼らの罵詈雑言は、一言一句身体に刻み込まれています。
「きったねぇ」
「クセェ」
「死ねや」
「気持ちわりぃ」
「死ねよ」
「消えろ」
「死んじまえ」
「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」


「てめぇマジでうぜぇんだよ…殺してやろうか」


 私の中で何かが弾けました。
 その時私は私を、どうしようもありませんでした。何も考えられなくて、でもひとつだけ確かな衝動があって、最も手前で笑みを浮かべていた女子生徒の頬を殴りつけ、倒れた彼女を何度も何度も何度も何度も何度も踏みつけ、馬乗りになり、涙でグチャグチャになったその滑稽な顔を、何度も何度も、私の嘔吐した数よりも多く、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、殴り続けました……………………。
 気が付いた時には、私は教師に抑え込まれていました。目の前には白目を剥いて痙攣している女子生徒を介抱する教師。私とそいつを交互に見て、恐怖に歪んだ顔をしている他の生徒……。そうして私は、停学処分を受けました。退学にならなかったのは、まずひとつに学校側が体裁を保つため。校内で生徒が瀕死になるほどの暴行事件があったとは口が裂けても言えなかったのでしょう。そしてふたつに、私が虐められていたということが明らかになったため。その内容が想像を絶するものであったので、被害者の女子生徒を含む虐めグループにも多少の非があるとされ、(多少というのはどうかとも思いますが)それぞれの親も含めた今回の事件に関する話し合いが行われました。幸い(?)なことに他の生徒にも私を虐めた過去があったため、学年中の生徒がこの騒ぎを見て見ぬ振りと決め込んでいました。

 停学となった私ですが、もう学校に戻る気などは全くありませんでした。それは復学した後の生活をうれいたからではありません…。その事件をきっかけに、私の病はステージⅡからステージⅣへと飛んで進行したのです。そう、癌であれば末期、もう私の身体はボロボロに朽ちていました。

 ステージⅣの私はもう、私を取り巻く環境に、社会に、世界に……バラバラな「全て」に、不快感を覚えずにはいられなくなっていました。もう私は、私の部屋から出られなくなりました。両親は私に関わることを避けていました。しかし私としてもそちらの方が都合が良かったです。もう私は、「人間」という、顔も声も色も背丈も性別も、最もこの世でバラバラの生き物には会いたくありませんでした。そうして真っ黒の部屋で、私は日々を淡々と、過ごしていました。


 あぁ……、統一されたものは本当に美しい……。私の枯れ果てた心に極上の潤いをくれる……。それだけで私は幸せになれる………。

 どうして分からないんだろう…。中学校の同級生たちは、高校の同級生たちは、親は、世界は……。

 どうして「統一」という魅力に気付けないのだろう。この世界で私だけがその魔法に魅入られている……。

 私だけが………。


 私…だけ………?

 そうです。私だけでした。同級生たちがバラバラ、社会がバラバラ、世界がバラバラ…、それは違います。私だけです。私だけがみんなとバラバラだったのです。私だけが、「統一」という魔力に惹かれていたのです……………。私が、社会というジグソーパズルにおいて……、不揃いのピースだったのです。
 ですから私は今、B5のノートと5Bの鉛筆を持って、真っ黒な部屋を抜け、マンションの屋上に出て、そうして統一されない街を、世界を見下ろしながらこれを書いています。これは18歳の少女の人生を呪い続けた、魔法などとはかけ離れた、病についての告白です。今でははっきりと言えます。これは身近な、なんでもない日々の隙間、目睫もくしょうかんに潜む病魔のお話なのです……。

 そして、私の闘病生活の終止符とともに、




 ようやくジグソーパズルは完成するでしょう…。


(続)



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