『ゼノンのパラドックス』(ジョセフ・メイザー 著 松浦俊輔 訳)

二分割──運動する物体は、いかなる地点にも達しえないこと。どんなにその点に近くても、そこに着く前に必ず中間地点を通らなければならず、次いで残りの中間地点を通らなければならず、以下同様となり、この繰り返しにはきりがないからである。したがって物体は、目標がどんな距離のところにあろうと、そこに達することは決してできない。

アキレス──どんなに速いランナーでも、相手が少しでも前方からスタートする場合には、それがどれほど遅かろうと追いつけないこと。速い方が相手の出発点に着いたときには、遅い方は、わずかとはいえその前に進んでおり、追いかける方がその地点まで達しても、相手はさらにその先へ行っていて、以下同様となるからである。

飛ぶ矢──何らかの長さの時間にわたって、ものが動いていることはありえないこと。個々の瞬間にものが動いていることはありえないからである。

競技場──ある長さの時間の半分は、全体に等しいこと。運動が等しければ、それにかかる時間も等しくなければならないのに、大きさの等しい物体を等しい数だけ通過するのにかかる時間は、その物体が静止しているか運動しているかで異なるからである。運動する物体が、動いているものと止まっているものを通過するとき、その速さは等しいという前提に誤りがある。
 ゼノンの逆説は、宇宙に関する根本的な問題を引き起こす。時間や空間は、切れ目のない線のように連続しているのか、それともビーズを並べたように単位で区切られているのか。これは、万物理論に近づいていると言われる今日の物理学者までもが、苦労して取り組んでいる問題である。
 ゼノンの論証はばかげているように見える。誰でも矢は空中を飛ぶことを知っているからだ。それでもなぜそう思い、どうしてそれがわかるのかを説明するとなると、少々やっかいなことになるかもしれない。あるいは、時間の一点を固定するという考えそのものがばかげていて、矢がどの瞬間にも停止しているように見えると言っても意味はなさないと論じることもできよう。数学では、時間〔時刻〕はしかじかの数と宣言するだけで決定できる変数である。任意の時刻tに矢がどこにあるかを教える式もあり、tがしかじかの値に等しいとすれば、そのときに矢があるところも正確にわかる。もっとも、運動、空間、時間の数学的なモデルは、計算を簡単にするという便宜のために頭の中で作られたものにすぎないとも考えられる。そのモデルは、現実の構造を再現するというもっと広い目的のためにはできていないのかもしれない。
 より精緻な数学を介して運動を理解できるようになると、ゼノンの逆説についても解明が進んだ。しかし、科学の黎明期にゼノンが示した謎にきっぱりと片がつくとすれば、時間と空間の究極の謎を解決することによるほかはない。ゼノンは時代に先駆けていたのである。
 紀元前二一二年にアルキメデスが亡くなると、運動の問題は事実上放棄された。再び表面に出てくるのはその一四〇〇年後、ブリュッセルのゲラルドスがエウクレイデスとアルキメデスの数学の著作を復活させ、速さを距離と時間の比とする定義に非常に近いところまで迫ったときのことである。その一〇〇年後、オックスフォード大学マートンカレッジの四人の数学者が、運動の力学について考えを出しあい、自由落下する物体について、加速度と距離に関係をつける式を始めて求めた。このマートンの数学者たちが用いたのと同じ数理が、アキレスの逆説を解決すると言われたこともある。だが私は後で、その数理──基礎的な代数──が、表面的にはそうであるように見えても、逆説が向けられている根本にある現象論的問題を取り扱うものではないことを明らかにしようと思う。
 マートンの数学者から三〇〇年後、ガリレオは物理的対象で運動を測定する実験を始め、科学を経験的に取り扱う方向へと一歩を踏み出し、それが今日に至るまで続いている。ガリレオを経て、数学と物理的世界とのつながりが確固たるものになり、ニュートン、ライプニッツなどの数学者はこの方式をさらに進め、運動のモデルとするために、微積分と呼ばれる数学の一分野を考案した。
 ニュートンは、加速度──つまり速度が変化する率が、力と質量という、一見すると運動とはつながりがなさそうな二つの事物によって完全に決まるとする見事な説を得た。それによって、多くの人々には、やっと運動が完全に説明されたように見えた。数学は物理的世界の説明に勝利したのである。微積分は二分割の逆説を説明できそうだった。しかしここでも、数学はただの道具である。逆説が取り上げるのは根底にある現実で、それは数学の手を逃れる。
 一八世紀より前は、時間の計り方が未熟だった。ガリレオは測定用具として自分の脈拍を使った。今日の原子時計は一秒の一〇〇万分の一という間隔を計ることができる (一〇億分の一秒を表す言葉──ナノ秒──もあるが、それを正確に計る方法はまだない)。しかし時計の目盛りをどれほど細かくしても、そこで計られるのは、必ず離散的なもの──間隔、反復する合図、事象と事象の間の継続時間──である。それが問題の核心にある。われわれはと言えば、時間を幅のある持続として測定し、運動は連続していると考えている。運動について得られている定義は、どんなに良いものでも、時間と空間の離散的な印象と連続的な印象との間でごちゃごちゃともつれている。アリストテレス、ガリレオ、ニュートンなど、多くの人々の貢献があったにもかかわらず、二〇〇〇年以上の間、運動のもっと奥底にある正体について、ゼノン以上の手がかりを提供した人は誰もいない。
 二〇世紀になると、相対性理論と量子力学が出てきた。空間と時間はもはや現実の別々の面とは考えられず、四次元連続体として一つにまとめられた。時間の遅れ、質量の変動、特殊相対性原理といったものからすると、運動とは実は錯覚ではないのか。運動すると質量が変わる──あるいはその逆か。量子論は、運動には連続的でないものがあると言う。電子は原子の中のどこかにただじっと位置を占めているというわけにはいかない。電子は原子核を取り巻くとびとびのエネルギー準位の間を動くよう、厳しく制約されているからだ。とはいえ、連続的な運動という感覚を無視して電子がとびとびに飛び移るところは、やはり想像しにくい。ゼノンの逆説が、単純な微積分による論法で答えられたと言って放置されず、再び戻って来たことを、ゼノンは喜んでいるのではないか──ついそんな想像もしてしまう。
 確かなことが一つある。この宇宙にあるすべてのもの、すべての原子、すべての分子は、何らかの形の運動である。単純に場所を変える動きのこともあれば、でたらめに分子がぶつかっていることもあるし、入り組んでいて驚異的に高速な、エネルギー転送につきまとう振動のこともある。そしてわれわれの運動の理解は、今なお根本的なところでは逆説をはらんでいる。われわれはどのように運動の謎を探求し、その探求によって可能になった技術的・学術的進歩を追いかけてきたのか。その問いは文明についての壮大な物語の一つである。
 サモスのピュタゴラスは、おおよそ紀元前五六〇年から四八〇年あたりの人で、おそらく当時最も有名でカリスマ的な数学者だった。この人物についてはほとんど知られていないが、ギリシア世界を広く旅してまわり、イタリア半島の南端、クロトナに定住したことがわかっている。その数学には神秘主義的な面があったが、そのため熱心に帰依する学生の集団ができあがり、一つの宗門となり、ピュタゴラスの死後一世紀も続く結社となった。ピュタゴラス教団の影響は、ゼノンを含め、多くの人々に及んだ。とくに、線は点の列でできた、極微のビーズをつなげた数珠のようなものだという考えがあり、それがゼノンを惑わせた。しかしゼノンとパルメニデスは、そのピュタゴラス教団の考え方に異議を唱えた。線が有限個の点からできているなら、時間もまた有限個の瞬間でできていなければならず、そうであれば、日々はなめらかな連続的な流れとはならず、ぎくしゃくとした進み方をして、瞬間がそれぞれ砂時計を落ちる砂の一粒一粒のようになると論じたのである。当時は教育を受けた階層が拡大してきており、そうした人々が、ピュタゴラスの発見や、科学や幾何学に対する影響を意識するようになっていた。
 ピュタゴラス教団は直角三角形の三辺の大きさの関係を発見したが、この関係によって算術〔数論でもある〕と幾何学のつながりがぼやけ、同時に、物理的世界を数学的にモデル化すると、つじつまが合わないところが一つ出てきた。ピュタゴラスの定理は、直角三角形の直角をはさむ各辺の長さの平方の和は、斜辺の長さの平方の和に等しいことを言う。この美しくも小さな定理は、数〔正の整数と、その比である有理数〕がこの世のすべての事物を表すと思っていたピュタゴラス教徒にとっては、とてつもない哲学上の問題を引き起こした。ピュタゴラス教徒が、この有名な定理の発見に際して牛を生贄に捧げたという伝説もあるほどだ (ただし、魂の輪廻転生を信じる厳格な菜食主義の教団には、まずありそうにない話である)。
 ピュタゴラスの定理の発見は、必然的に通約不可能な数の発見をもたらした。辺の長さが1の正方形があるとしよう。対角線の長さは2の平方根となる。しかし2の平方根は、二つの整数の比としては表わせない。7/5や10/7などの数は、2の平方根に近いものの、そのものではない。整数を他のどんな整数で割っても、2の平方根にはならないのである。数を崇める人々にとって、これはきわめて狼狽させられることだった。1^2+3=2^2, 2^2+5=3^2, 3^2+7=4^2 などの関係を発見する人なら、パターンの力という神秘的な概念に気がつき、それを秩序に関する神の見事な知恵のせいにするかもしれない。そのものの性質上、正方形の辺と対角線の両方を一本の定規 (ルーラー)〔ルーラー (ruler) には「支配者」の意味もある〕で計ることはできない。古代ギリシアの人々は、空間の測定できない部分を発見していたわけである。ゼノンは、時間と空間の連続性に疑問を投げかける逆説を立てたとき、きっと、この発見のことを知っていただろう。
 後の二〇世紀初頭、バートランド・ラッセルはこう書いた。「通約不能の数の発見によって初めて持ち上がった問題は、時がたつにつれて、世界を理解しようと努める人間の知性に対してつきつけられる、最も厳しい、同時に最も広い範囲に影響する問題であることがわかった」。

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