アンデルセン童話いろいろ

 つぎの朝でした。寒い朝でした。
 家と家のあいだのせまいところに、小さい女の子がはだしでうずくまっていました。口もとに微笑みを浮かべ、長い髪に白い雪がふんわりとつもっています。手には、燃えつくしたマッチのひと束をもっていました。まわりには、燃えたマッチが散らばっていました。
 女の子は大みそかの晩に、寒さのためにこごえ死んだのでした。
「かわいそうに。マッチであたたまろうとしたんだね。」
 人びとはささやきました。
 だれもこの女の子が、死ぬまえに、どんなに美しいものを見たか、そして光とよろこびに包まれて、大好きなおばあさんといっしょに、神さまのみもとに行ったことを、知りませんでした。
 一つのさやの中に、五つぶのエンドウ豆が行儀よく、一列に並んでいました。豆は緑色で、さやも緑色をしていたので、豆たちは世界じゅうが緑色をしているものだ、と思っていました。
 お日さまがぽかぽかと暖かい光を、さやにそそぎます。さやは日ごとに、少しずつ大きくなりました。もちろん、中にいるエンドウ豆たちも、大きくなっていきました。豆たちは、区切られた自分の部屋に、きちんとすわっているのですが、だんだんものごとを考えるようになりました。
それからなん週間かがすぎました。エンドウ豆は黄色くなりました。さやも黄色くなりました。
「世界じゅうが、黄色くなったあ!」
さやの中だけしか知らない豆たちが、そう思うのは当然ですよね。
「なるようにしか、ならないのさ。」
いちばん大きいエンドウ豆が、静かな声で言いました。
 いちばんおしまいに豆鉄砲につめられたのは、いちばん大きなエンドウ豆でした。
「なるようにしか、ならないのさ。」
 そう言って豆は打ち出され、空に飛んで行きました。
 豆が落ちたところは、屋根裏部屋の窓の下にある、古い羽目板のすきまでした。そこにはやわらかい土があって、コケがびっしりと生え、風もやさしく吹いています。豆はコケに包まれてしまい、もうだれの目にも見えません。でも神さまだけは、この豆のことをお忘れになりませんでした。
「なるようにしか、ならないのさ。」
 豆はつぶやいて、コケの中で眠りました。
 末の姫さまは、おねえさまたちとはちがって、もの静かで考え深く、大人びていて豊かな感情をもっていました。おねえさまたちが沈んだ船から拾ってきためずらしいものを飾って、面白そうに遊んでいても、末の姫さまは仲間には入りませんでした。姫さまが大切にしていたものは、花壇で育てているまっ赤な花と、難破した船が海の底に沈んだときにもってきた、白い大理石で彫った美しい顔をした少年の像でした。姫さまはその像の横に、バラ色のシダレヤナギを植えました。シダレヤナギは成長して枝を広げ、やさしくゆれ動いて、少年の像を抱くように見えるのを、姫さまはあかずにながめ、もの思いにふけっていました。
 あるとき人魚姫は、王子が旗をなびかせたボートを漕いで、海へ出られるのを見ました。人魚姫は小さな島の葦の葉かげに身をかくして、王子を見つめました。やさしい風が吹いていて、人魚姫の銀色のベールがひらひらと舞って、まるで、白鳥が羽ばたいているようでした。
「わたしが、気を失った王子さまを抱いて、ずうっと海を漂っていたのです。白砂の浜辺にお寝かせしたのも、わたしですの。」
 人魚姫は熱い思いをこめ、身をひそめて王子を見つめるのです。けれども王子は、人魚姫に助けられたことも、人魚姫が王子を見つめていることも、なにも知りません。
 人魚姫はしだいに人間を好きになり、人間の世界に住みたい、と思うようになりました。人魚の世界より、人間の世界のほうが、ずっと大きく深く変化に富んでいるようで、とても心がひかれるのです。
 ある日、人魚姫はおばあさまに、海の上の世界のことをたずねました。
「人間というものは、おぼれて死ななければ、いつまでも生きていられるのでしょうか。」
「いいえ、人間だって死ななければなりません。人間はわたしたちより、もっと短いあいだしか生きれませんよ。人魚は三百年も生きていられます。でも人魚は、人間のようにお墓の中で眠ることはできないで、死ぬと水の上の泡になってしまうけどね。
 人魚には死なない魂というものがありません。人間のように、あの世に生まれ変わるということができないのです。刈りとられた葦は、二度と緑の芽を出すことができないのと同じです。人間には魂というものがあって、からだが死んでなくなっても、魂は生きていて、澄みきった空気の中を通りぬけ、お星さまのキラキラ光る天国へのぼって、永遠に生きるのですよ。」
「たった一日でもいいんです。人間になれて、そして死んだら、天国とやらへ行くことができないでしょうか。」
「そんなこと考えてはいけません。わたしたちは人間より、ずっと幸福な生活をしているんですから。」
「わたしも死んだら、海の泡になって漂うのですね。人間のように、永遠の魂をさずかるわけにはいかないのでしょうか。」
「それはできませんよ。」
 おばあさまは強く言ってから、少し人魚姫をかわいそうに思いました。
「でもねえ、ひとつだけ、こういうことがあればねえ、できないわけでもありませんよ。人間のうちのだれかが、お前を心から愛してくれて、その方の両親よりもお前をいとおしく思い、愛情と真心をそそいでくれてね。そして神父さまのおとりはからいで、その方の右手をお前の右手において、永遠の誓いをたてるんです。その方の魂がお前に乗り移って、お前は人間の永遠の魂を、わけてもらうことができるのです。だけどそんなこと、起こりっこないよ。なぜって、この海の世界では美しいとされている人魚のしっぽは、人間の世界ではみにくいものなんだよ。人間はどう見ても、ぶかっこうな二本のつっかえ棒を足と言って、得意になってるけどね。考え方も生活も、こんなにちがうんじゃねえ。」
 人魚姫はかなしそうな顔をして、ご自分の魚のしっぼをじっと見つめていました。そんな人魚姫のために、その夜おばあさまは、すばらしい舞踏会を開いてくださいました。大広間には、何百というバラ色や緑の色の貝殻に、青く燃えるあかりがともり、人魚の若者や娘たちが美しい声で歌ったり、おどったりしています。末の姫さまの歌う声はだれよりも美しくきれいで、みんなはうっとりし、歌いおわると嵐のような拍手が鳴りやみませんでした。
 人魚姫はとてもうれしかったのですが、少したつと、上の世界に住む王子のことが思いだされ、また、つらくなってしまうのです。そっと広間をぬけだした人魚姫は、自分の花壇に行ってすわりました。
「きっといま、王子さまがお船でこの海の上を通っていらっしゃるのね。胸がどきどきしますもの。お父さまよりおばあさまよりも、大好きな王子さま。わたしがひと筋に思い焦がれている王子さま。わたしの運命をおまかせしてもいいわ。そう、王子さまと永遠の魂とが、わたしのものになるのならば、なんだってやってみるわ。おねえさまたちがおどっているあいだに、思いきって海の魔女のところに行ってみよう。恐ろしいけれども、きっといい知恵をかしてくれるかもしれないわ。」
「お前さんは、いいときにきたというものさ。あすになってお日さまが出たら、あと一年たたないと、お前さんの望みをかなえてあげられなかったよ。どれ、どれ、薬をつくってあげるよ。それをもってお日さまのあがらないうちに陸に泳ぎついて、岸にあがってその薬をお飲み。そうするとしっぽは人間の足に変わるっていうわけさ。でもね、そのときの痛さって、鋭い剣で突きさされるようなんだよ。そのかわり、お前さんを見た人間は、だれでもこう言うよ。こんなきれいな娘は見たことがない。滑るようで美しい、こんな軽やかな歩きぶり、どんなおどり子でもかなわない。だけどさ、お前はひと足あるくたびに痛くて、まるでナイフを踏んで、血を流すような思いだよ。それでもお前さんが、がまんすると言うのならね。いいのかい?」
「ええ。お願いします。」
 ふるえ声できっぱりと言った人魚姫は、王子と永遠の魂のことだけを思いつめていました。
「それからね、ことわっておくがね。一度、人間の姿になったら、もう人魚にはなれないんだよ。二度と水の中をくぐって、ねえさんたちやお父さん、おばあさんのいるお城にかえれないのだよ。わかっていると思うけどさ。王子が心の底からお前を好きになって、神父さんの前で結婚の約束をしなければ、永遠の魂なんてさずからないんだからね。もし王子がほかの娘と結婚するようなことになれば、つぎの朝には、お前の心臓がはりさけて、お前さんは海の泡になってしまうんだよ。」
 人魚姫の決心はかたく、すっかり青ざめた顔でしたが、きっぱり言いました。
「かまいませんわ。」
「わたしのお礼のことも忘れないでもらいたいよ。わたしの欲しいものは、海の底にいるだれよりも美しい、お前さんのいい声だよ。」
「でも、声をあげてしまったら、わたしになにが残るのでしょう?」
「だいじょうぶだよ。そんなに美しい姿や、人間の心を夢中にさせる、ものを言う目があるじゃないか。」
「どうぞ!」
 覚悟のきまっている人魚姫は、凛として言いました。
 ところが王子は、おとなりの国の美しい王女さまと、結婚なさる話がもちあがったのです。人びとの話によりますと、この王女さまは、はるか遠いところの修道院で、長いあいだ王女になる教育や、人の上に立つための徳をつまれて、かえってこられたそうです。
「ぼくは王女に会いに行かなければならない。お父さまとお母さまのいいつけだもの。でも、ぼくがその王女を愛することなんて、ありっこないよ。ぼくがいつかお嫁さんにするのは、口はきけないけれど、心が素直で清らかな、美しいお人形さんのお前しかいないよ。」
 王子はお姫さまの髪をやさしくなでて、姫さまの胸に顔を押しあてました。姫さまは幸せで胸がふるえました。
 王子は姫さまをつれて、大きなりっぱな船に乗って、おとなりの国の港に向かいました。航海の途中で、王子は姫さまがたいくつしないように、海の嵐のことや、海の深いところに住んでいる不思議な魚たちのことを、たくさん話してくださいました。姫さまは微笑みながら、なつかしい思いでその話を聞きました。
 あくる朝、船はおとなりの国の美しい港につきました。都ではお祝いの花火が打ちあげられ、あちこちに花が飾られ、宴会や舞踏会がもよおされました。
 王女さまはほんとうに美しい方でした。姫さまはこんな美しい方を、いままで見たことがありません。王子はひと目で、王女に心をうばわれてしまいました。
「おお、あなたです。わたしが海岸で、死んだようになって倒れていたとき、助けてくださったのは! あのときの若い娘さんの面影を、わたしはずっと探しつづけていたのです。」
 王子は王女を強く抱きしめました。そしてそばにいる姫さまに、はずんだ声で言いました。
「ぼくはなんて幸福なんだろう。お前はわたしのこの幸福を、よろこんでくれるよね。お前はいちばん、ぼくのこと思っていてくれてるのだもの。」
 姫さまは王子の手にやさしくキスをしましたが、胸ははり裂けんばかりで、深いかなしみがあふれていました。姫さまには、王子がご婚礼なさったあくる朝、死んで海の泡にならなければならない運命が、まちうけているのです。
 都じゅうの教会の鐘が、いっせいに鳴りわたりました。ご婚礼を告げる鐘の音です。
 花婿の王子と花嫁の王女は、神父さまの前で手と手をとりあって祝福を受けました。姫さまは花嫁の美しい衣装の長い裾をささげもちながら、まわりのはなやかさなど、少しも目にはいりませんでした。
 やがて死ななければならないかなしみと、失ってしまった海の底の人魚の、たのしかった明け暮れのことを思いつづけていました。
 夕方になりました。姫さまをつれた王子と花嫁の王女は、これから船に乗って王子の国へかえって行くのです。船は青く澄んだ海の上を、滑るように走って行きました。
 船の中もそとも、花や旗や提灯で美しく飾られています。さあ、これから祝いのダンスがはじまるのです。船員たちがたのしい音楽にあわせておどりだすと、それにつられて海の上では、イルカもおどっています。
 姫さまが王子の姿を見るのは今宵かぎりです。姫さまは足の痛みも忘れて、身をひるがえして軽やかに、白鳥のようにおどりつづけました。人びとはその美しさと見事さに息をのみました。
 やがて夜がふけて、船の中はひっそりと静まりかえり、小さな波の音だけが聞こえてきます。王子と王女は手に手をとって、紫色の美しいカーテンに包まれたお部屋に入られて、おやすみになられました。
 お姫さまはひとり船の手すりによりかかって、東の空がだんだん赤く染まっていくのを、じいっと見つめていました。
 お日さまがのぼるときは、姫さまが死ぬときなのです。
 そのときです。人魚のおねえさまたちが、そろって波のあいだから浮かびあがりました。
 どうしたことでしょう。おねえさまたちの顔はすっかり青ざめて、あの美しい髪は、根元から切りおとされているのです。
「かわいい妹よ、よく聞いて。わたしたち、あなたを死なせないために、魔女に助けをかりに行ったのよ。そして魔女から短刀をもらってきたわ。お礼に髪の毛をあげました。さあ、お日さまがあがらないうちに、この短刀で王子の心臓を射すのよ。その血があなたの足にかかれば、あなたはもとの人魚になれるのよ。わたしたちのところにもどってこられるのよ。そうすれば、あなたはこれからさき、三百年も生きられるのよ。わかったわね。思いきって王子を殺して、海のお城へかえっていらっしゃい! おばあさまは、あなたのことを心配して、白髪がすっかりぬけおちてしまったわ。さあ、早く。お日さまがのぼらないうちに! さあ、いそいで!」
 おねえさまたちはお姫さまに短刀をわたすと、波まに沈んで行きました。
 姫さまは王子のおやすみになっている部屋に行きました。紫色のカーテンをそっと引き開けると、花嫁は王子の胸に頭をのせ、二人とも安らかに眠っていました。こんなにも美しい、こんなに愛している王子を、どうして殺すことができましょうか。
 姫さまは、短刀を海の中にほうり投げました。
 短刀のおちたあたりが赤くなって、赤い血が水の中から泡だってくるように見えました。
 もう姫さまの心は安らかでした。姫さまは、かすんできた目でもう一度、王子を見ました。そして姫さまは身をおどらせて、海に飛びこみました。
 姫さまは自分のからだがとけて、泡になっていくのがわかりました。
 お日さまが海からのぼり、あたり一面、光輝きました。その光は、冷たい海に浮かんでいる泡を、あたたかく照らしました。

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