カフカ『罪・苦痛・希望・及び真実の道についての考察』

1 真実の道は一本の縄──別に高く張られているわけではなく、地上からほんの少しの高さに張られている一本の縄を越えて行くのだ。それは人々がその上を歩いて行くためよりも、人々がそれに躓くためにつくられているように思われる。

2 すべての、人間の過失は、性急ということだ。早まった、方法の放棄、妄想の妄想的抑圧。

3 凡ての他の罪悪がそこから生ずる根元的な罪悪が二つある。性急と怠惰。性急の故に我々は楽園から追出され、怠惰の故に我々はそこへ帰ることができぬ。しかしながら、恐らくはただ一つの根元的な罪悪があるのみであろう。性急。性急の故に我々は追放され、又、性急の故に我々は帰ることができない。

4 死んだ人々の影の多くは、死の河の波を啜ることにのみ没頭してゐる。何故といって、死の河は我々の所から流出していて、なお我々の海の塩の味がするからだ。かくして、河は、胸をむかつかせ、逆流して、死人共を再び生に掃きもどす。しかし、彼等は狂喜し、感謝の頌歌を唱え、そして、憤激する河を抱擁するのである。

5 ある点からさきへ進むと、もはや、後戻りということがないようになる。それこそ、到達されなければならない点なのだ。

6 人類の発展における決定的な瞬間とは、継続的な瞬間の謂である。この理由からして、彼等の前のあらゆるものを、無なり、空なり、とする、革命的運動は正しい。何となれば、実際には何事も起らなかったのであるから。

7 悪魔の用いる最も有効な誘惑術の一つは争闘への挑戦である。それは女との鬪いに似ている。所詮は寝床の中に終るのだ。

8 Aはひどく自惚れていた。彼は、自分が徳性において非常な進歩を遂げたと信じていた。というのは、(明らかに、彼がより挑戦的な人間になったためであるが)彼が、今迄知らなかった種々な方面から、次第に多くの誘惑が攻めてくるのを見出すようになったからだ。だが、本当の説明は、より強力な悪魔が彼を捕え、そうして、より小さい悪魔共の宿主が、より偉大な悪魔に仕えるために走って行ったということである。

9 人間が、たとえば、一個の林檎について抱き得る觀念の多樣性。単に机の上にあるそれを見るためのみにも、その首をのばさなければならない子供の眼に映じたリンゴと、それを取上げ、主人らしい品位をもって客の前に差出す、一家の主人の眼に映じたリンゴと。

10 智識発生の最初の徴候は、死に対する希求である。この人生は堪えがたく見える。あるいは到達しがたく見える。人はもはや、死を望むことを恥としない。人は、彼の嫌う古い住家から、彼のなお嫌わねばならぬ新しい住家へと導かれることを祈る。このことの中には、ある信仰の痕跡がある。その推移の間に、偶然「主」が廊下伝いに歩いてこられて、この囚人を熟視し給い、さて、「この男を二度と監禁してはならぬ。この男は余の許に来るべきものだ。」とお仰せられるかも知れない、信仰の痕跡がある。

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