小此木啓吾『フロイト思想のキーワード』

序章 フロイト その思想と人生

近代思想史におけるフロイトの役割
「私がオプティミストであるということは、あり得ないことです、しかし、私はペシミストでもありません。ペシミストと違うところは、悪とか、馬鹿げたこととか、無意味なこととかに対しても心の準備ができているという点です。なぜなら、私はこれらのものを最初から、この世の構成要素の中に数え入れてしまっているからです。断念の術さえ心得れば人生も結構楽しいものです」(ルー・アンドレアス = ザロメ宛書簡、一九一五年七月三十日付)
 ジグムント・フロイト(Sigmund Freud 一八五六~一九三九)は、最愛の弟子の一人であり、最も頼りにする心の友であったルー・アンドレアス = ザロメ(Andreas-Salome, L.)にこう書き送っているが、この言葉は、人間フロイトをとても率直に語っている。
 近代ヨーロッパの歴史は、われわれの意志とかかわりなしにわれわれの心身を支配する自然科学的法則発見の歴史である。そこで人々が直面した課題は、みずからが獲得したこの科学的認識にどのように適応するかであった。換言すれば、近代科学の認識した自然法則に従って生存する自己を、どのように受け入れるかがわれわれ人類の課題になったのである。近代ヨーロッパ人にとって、それ以前に形成していたキリスト教をはじめとする伝統的な世界観及び人間観──フロイトはそれらを、より原始的な自己愛的全能感の所産と批判した──と、この科学的認識との矛盾は、深刻な葛藤や苦悩を人々の心に引き起こした。一九世紀末から二〇世紀にかけてのフロイト思想の課題は、彼の創始した精神分析を通して積極的にこの矛盾を止揚し、近代的な科学的世界観に基づく新しい人間観を提示することであった。
「私は生涯の大部分を人類の幻想を破壊することに費やしてきました」(ロマン・ロラン宛書簡、一九二三年三月四日付)。この場合の「幻想」とは、科学的認識と背反する因習や偏見であり、とりわけそれは、性に関する不合理なタブー、国家や集団の中で人々が共有する偏見や一体感の幻想である。そしてフロイトは、意識を中心に自己の精神をとらえる幻想までも破壊し、意識よりも無意識のほうがより広大な領域を持っている事実を明らかにした自分を、地動説によって地球中心の宇宙観を破壊したコペルニクスや、進化論によって自分たちを「神の子」とみなす人間本位の人類観を破壊したダーウィンに比している。これらの幻想の破壊のゆえにフロイトは幾多の排斥と迫害を受け、その『精神分析運動史』(一九十四)の冒頭に引用した「波にもまれて、なお沈まず」の言葉どおりの苦難の航海に船出することになった。

第1章 フロイトらしいその生と死

6 書くこと


フロイトにおける書く仕事(writing work)
 フロイトは、生涯臨床家だった。しかし、毎日働き続けただけでなく、彼にはもう一つの仕事があった。それは、夜九時ころから深夜に及ぶ「書く」仕事であった。結果的に彼は膨大な論文、著作、書簡を書き続けることになった。もし、この書く仕事がなかったら、フロイト思想とか、思想家フロイトなどと言われるフロイトは成り立たなかったであろう。しかも、フロイトは臨床家であると同時に、大変にすぐれた執筆家(writer)、著作家であった。量だけでなく、その書かれたものの質もまた最上のもので、その独文は一九三〇年八月、ゲーテ文学賞(賞金一千マルク)を授与されるほどであった。
 ただし、書く「仕事」と呼んでよいかどうか。なぜならば、フロイトにとって書くことは、仕事とか働くこととか以上の何かであったからである。書くことによってフロイトは、臨床経験はもちろん、研究探究、彼自身の内面的な体験、情緒、思考を昇華した形で豊かに表現し続けた。しかしフロイト流に、重要な心的作業という意味での仕事という言葉を当てはめれば、たしかにそれは仕事(writing work)である
 しかもフロイトの場合、それは彼自身が芸術家の天分としてあげた、抑圧の弱さと人並み外れた昇華の能力によって成り立つ、きわめて創造的な営みであった。つまり、この書く仕事が彼の心身の生活を支えた。おそらく人一倍繊細な感受性を持ち、感情の起伏があったであろう彼の、内面の葛藤、フラストレーション、怒り、悲しみを昇華させる必須の心の営みだったに違いない。
 十六年に及ぶ闘病生活の中で最も価値のあるたくさんの著作を発表し、死の直前まで『精神分析学概説』を執筆し続けて遺稿の形で残した事実を、筆者は、フロイトの人並みはずれた気概と意志の強さを物語るものとして長年、受けとめてきた。しかし、ある個人的経験を契機にして、いまは逆に、この書く仕事が彼の闘病を支えたのだという理解を抱くようになった。書くことが、老フロイトのおびただしい心身の苦痛を超え、生きる活力源になっていた。書くことがあったからこそ、ガンにもかかわらず、八十三歳までの長寿が可能になったのだ。
 この筆者の思いには、幾多の裏付けがある。書き手としてのフロイトを研究するP・マホーニィ(Mahony, P.)によれば、婚約者マルタへの九百通に及ぶ手紙や、友人フリースに宛てた二百八十四通の手紙は、情動を解放する場であったように読めるという。また、『精神分析入門』や『メタ心理学的諸論文』といった、フロイトのより知的な労作にさえ、似たような感情のはけ口が見られるという。フロイト自身がルー・アンドレアス = ザロメに打ち明けたところによると、それらは「私が書いたときの機嫌の悪さや、一種の鎮静作用の反映があるのです」とのことである。
 彼は友人フリースに次のように書き送っている。「先週、ひどく働いた晩があって……私は、不快で苦痛な状態だったのですが、そういうときに私の頭脳は一番よく働くのです」。さらにまた、書くことは、一日のうちの非常に長い時間、精神分析をして、黙ってじっと被分析者の話に耳を傾ける分析者の受け身性を中和する能動的な営みであると述べている。たしかにそれは、フロイト自身も認めていた目的に適うものでもあった。

洞察し、推敲し、そして癒される
 フロイトが書くことのもう一つの目的にしていたのは、洞察を発見し、推敲することだった。しかも、彼がそれらの目的を人生の初期から持っていたことは、彼自身の論文『分析技法前史について』(一九三〇)に示されている。そこでフロイトが明かしているように、十四歳のとき彼はルートヴィヒ・ベルネ(Berne, L)の一冊の書物を与えられて非常に気に入り、後年に至るまで持ち続けた唯一の本になった。その本の中には、『三日間で天才的な作家になる方法』というエッセイがあり、次のようなアドバイスが書かれていた。
『数枚の紙を手に取って、三日間続けて、あなたの頭に浮かんだことを、つくり事や偽善を交えずすべて書き留めなさい。あなた自身について、あなたの奥さんについて、トルコ戦争について、ゲーテについて、あなたの目上の人たちについて書き記しなさい。……すると、三日たったとき、あなたは、これまでに聞いたこともないような新しい考えに驚き、我を忘れてしまうでしょう。これが、三日間で天才的な作家になる方法なのです』
 彼自身、このベルネのアドバイスの影響を受けていたことを認めている。
 しかしながら、面倒な臨床実践という消耗がなかったら、フロイトはより多くの創造をなし遂げることができただろう、とあわてて結論してはいけない、とマホーニィは言う。たしかにフロイトは、実際にはまったく逆であった。
「四ヵ月の間働いて完全に押しつぶされた後、患者がばったり来なくなったので、私は望んでいたよりずっと暇になったのです。しかしながら、こうやって仕事から解放されてみると、それが私にあってはまったく生産活動につながらないのです」と語っていた。
 フロイト以後の精神分析は、分析者と被分析者、スーパーバイザーとスーパーバイジーという二人の間の話を中心に実践され、学ばれる営みとなる。二〇世紀における学問としての精神分析では、口述による交流が飛び抜けた重要性を持つようになった。ところが、そもそも精神分析の起源となったフリースとの自己分析は、フリースとの書簡の往復の中で、みずからの夢や回想とその連想を「書くこと。によって行われた。マホーニィはこの事実に改めて注目し、「精神分析は本来書くことによる治癒(writing cure)として生まれた」と述べている(P・マホーニィ『フロイトの書き方」一九九六)。
 この観点から見ると、フロイトのフリース体験からはじまった書くことによる自己分析は、その後、生涯にわたって続けられたのだと筆者は思う。それがフロイトの文筆著作活動だったのだ。そしてこの事実は、フロイトにおける自己分析の最大の課題は、父ヤコブの死に対する喪の仕事であり、この喪の仕事は、その後の著作活動の中で進められたという筆者の考えとよく符合する。フロイトにとって、対象喪失のような心の痛みを癒す自立的な営みが、書く仕事だったに違いない。書く仕事によって喪の仕事を営んでいたのだ。

書くことの天才、フロイト
 しかし、フロイトにとって書くことがこれほどの役割を果たし得たのは、あたかも芸術の天才の場合と同様に、フロイトに書くことの天分があったればこそである。
 このフロイトの天分には、天性のものに加えて、ベルネのアドバイスの実行、フリース体験における書くことによる自己分析、執筆・著作の積み重ねなどのある種の自己修練があった。このフロイトの書くことの天分を物語るいくつものエピソードがある。そのエピソードは天才モーツァルトが書き上げた楽譜には、書き換え、書き加えなどの跡がまったく見られなかったという伝説を彷彿とさせる。
 実は、私自身、直接フロイトの草稿を手にして、大変な衝撃と感動をおぼえたことがある。それは、フロイトの末娘で、後継者となったアンナ・フロイト宅をアンナ先生が亡くなる半年ほど前に最後に訪問したときのことである。
 私はアンナ先生に、これが最後の機会だと思って勇気をふるい、かねての疑問に答えを求めた。フロイトの遺稿『精神分析学概説』は「文体もあなたの書き方で、それまでと変わっている。もしかしたら、病いの父フロイトに代わってあなたが書かれたのではないか?」と。こう問いかけられたミス・フロイトは、憤然とした態度で、抱えきれないほどのフロイト手書きの草稿をテーブルの上に広げて、「どう、これをごらん!」と言った。
 まがうかたなくそれはフロイトの筆跡だった。しかも、その瞬間、私がびっくりしたのは、書き換え、書き加えもなく、最初から流れるように書かれていたことだった。マホーニィも、同様の事実について幾つものエピソードを語っている。
 シェークスピアの場合と同様、周囲の人々は、フロイトが流暢りゅうちょうに物を書けるということを知っていた。フロイトが書いたものには、修正が滅多になかった。このことを裏付けるフロイト自身の言葉を、精神分析家ハンス・ザックス(Saches,H.)は書き留めている。
「私は一度、どうしてそんなふうに物が書けるのかフロイトに尋ねてみた。……彼は、最終の草稿以前に何か書きつける習慣はないし、ペンを紙の上に走らせる前の、内容や構成だけでなく、各文章の正確な構想についてもそうだ、と答えた。彼の場合、書こうとして椅子に座るや否や、あらかじめ用意された文章の内的な書き取りを行うので、その過程はほとんど自動的だったのだ」
 もし、この書くこと、つまりフロイトの天分が書き残した膨大な書簡、著作がなかったとしたら、フロイト思想と呼び得る、臨床や治療を超えた、より普遍性のあるフロイトの洞察や問題提起を、私たちが共有し論じ合うことはできなかったに違いない。
 書くことは、以上述べた意味で、単なる伝達や表現の手段、媒体を超えた、人間フロイトとそのフロイト思想の本質的な部分をなしているのである。

第2章 ヒトの無力さと心の適応

3 空想することとプレイすること

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白昼夢と内向

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 さらにフロイトは、遊びとユーモアの関係について、次のように述べている。「大人になってからの自分の日々の営みをあの子どものころの遊びと同じものに見立てるときがある。そのとき、彼は人生のあまりにも重い圧迫をかなぐり捨て、ユーモアという高級な快楽を手に入れる」と。
4 芸術家の天分─抑圧の柔軟性

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芸術家における幼児期体験・生活史と作品の関連の研究
 幼児期体験、特にその心的葛藤と解決のパターンが、芸術家の思考過程、芸術的創造にどんな影響を与えているか。フロイトは、次のように分析した。
 たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチは、自己の出生の由来に関する幼児的な性的好奇心が異常に強く、その昇華によって、あの天才的な探究をなし遂げたのではないか。しかし、その反面、その昇華は未完成であって、その探究や創造活動は、半ば強迫的な傾向に駆り立てられていた。あるいは、ゲーテは、弟に対する絶対的な優越者たろうとして異常なまでにたくましい知的能力を身につけたが、母からの寵愛が終生ゆるぎないものになり、この自信(ナルシシズム)がその生涯にわたって彼の天分を実現する支えになった。
 ドストエフスキーの場合には、異常な情感性、サド・マゾないし犯罪者素質に類する倒錯的傾向、芸術家としての天分が共存し、この豊かな人格の内容と、その統合をなし遂げようとする自我の力との内的な抗争が、異常なまでに激しく彼を駆り立てた。そして、この自我の統一に破綻が生ずると、神経症、つまりヒステリー性のてんかん様発作が起こった。ドストエフスキーにおいては、父に対するエディプス・コンプレックスに由来する無意識的罪悪感=マゾヒズムが、この天才の創作活動の推進力になっていたのではないかとフロイトは論じている。

芸術家の天分(創造力)の研究
 芸術の創作や創造の心理過程そのものについて、フロイトは幾つかの論文で考察を述べているが、その最初は『詩人と空想すること』である。さらにフロイトは、一九一一年に、自己の芸術観を示す次の言葉を残している。
「芸術はその独特な方法で快感原則と現実原則という二つの原則の和解を実現させる。もともと芸術家という人間は、欲動満足の禁止になじめないため、現実から眼をそらして、空想の世界でその性的な願望、野心的な願望をかなえさせる。だが、彼は空想の世界から現実へ戻る道も見つける。それというのも、彼には特殊な才能があって、その空想を新しい種類の現実として形づくり、それがまた人々から価値のある現実のコピーとして公認されるためである。彼は外界の実際の変革という大変な回り道をしないで、ある種の方法で、自分が望んでいた英雄、王様、創造者、人気者になる。しかし、これができるのは、他人も彼と同じように、現実に強いられて断念した同じ不満を感じているからであり、現実原則が快感原則を代行したとき以来のこの不満自体が、現実の一部だからである」(『精神現象の二原則に関する定式』)
 彼はまた、こうも言っている。
「芸術家は、スタートにおいて、いまにも神経症になりかねない内向者である。芸術家はあまりにも強い本能的欲求に駆り立てられるのであるが、これらを満足させ得る現実的手段が欠けている。そこで芸術家は、現実を見捨てて、その関心のすべてを空想生活の願望形成に転移する。ひょっとするとこの道は神経症に通じているかもしれない。……芸術家たちが、神経症による己の才能の部分障害にいかにしばしば苦しむものであるかは周知の如くである。おそらく彼らの本質は、昇華への強い能力と、葛藤を決定する抑圧の一定のきめの粗さ(または柔軟性)とを含んでいる。ところが、芸術家は(神経症者と違って)このような空想の願望形成から現実へ復帰する道を有している。……すなわち(空想から)個人的なものを失わせ、他人とともに楽しめるようにし、……自分の描く想像表象とそっくりそのままになるまでその材料に形を与える不思議な能力を持っている。このようにして……抑圧は少なくとも一時この表現に打ち負かされて放棄される」(『精神分析入門』)
 そして、ここでフロイトの言う昇華への自我の強い能力と抑圧の柔軟性の二つを出発点として、フロイト以後(たとえばE・クリス、D・W・ウィニュットら)の精神分析的芸術論が展開されてゆく。

第3章 無意識への王道

5 同一化とほれこみ

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取り入れ同一化と投影同一化
 そしてフロイトは、引き続いて、現代の精神分析が投影同一化と呼ぶもう一つの同一化のメカニズムについて、ほれこみのメカニズムの形で論じている。
 この観点から見ると、いままで述べた同一化は、取り入れ同一化である。これに対して投影同一化は、むしろ対象に自己を投影し、投影された自己と対象とを同一視する機制である。もう少し具体的に言うと、自分の心の中の願望や衝動を自分の中から排出して、相手に投げ入れて投影し、あたかもその相手がその願望や衝動を抱いているかのように知覚するという仕組みである。フロイトは「ほれこみ」について、みずからの心の中の自我理想を対象に投影し、その対象と自己とを同一視する仕組みを論じているが、このような自己愛的な対象関係の中にフロイトは、投影同一化のメカニズムを見ていたのである。
 ほれこみという現象について、最初からフロイトの注意をひいたのは、新しい対象への過大評価、文豪スタンダールの言う愛の結晶作用という現象であった。つまりそれは、愛の対象に対して批判力を失って、その対象のすべてを、愛していない人物に比べて、あるいはその対象を愛していなかった時期に比べて、より高く評価するという心理である。
 この場合、判断を誤らせるのは「理想化」である。「そのとき、愛の対象をまるで自分と同じように扱う自己愛が大量に対象に注がれる」。
 そもそも人々が愛の対象を選ぶとき、多くの場合、その対象は自分には到達できない自我理想の代役をしていることが多い。たとえばファンのスターに対する熱狂もその一つである。つまり、その対象が愛されるのは、本来は自分が得たいと求めている完全さ、すばらしさを相手に見出すためである。この過大評価とほれこみがさらに進むと、直接の性的な満足などは棚上げされて、もっと献身的なものになる。それは、若者の熱狂的な愛にしばしば見られる。この場合、自我はますます無欲で、つつましくなり、対象はますます立派に、高貴なものになる。しまいには、対象は自我の自己愛のすべてを所有するようになり、その結果、自我の自己犠牲が当然のこととして起こる。いわば対象が自我を食いつくしてしまうのである。すべての批判は沈黙し、対象がなすこと望むことは、すべて正当で非難の余地のないものになる。愛に目がくらんだ者は犯罪を犯してさえ悔いを残さない。
 取り入れ同一化と、このほれこみ──魅惑されるとか、恋の奴隷になるとか呼ばれる愛看──との違いは明らかだ。取り入れ同一化の場合には、対象の特性によって、自我が豊富になる。一方、フロイトの弟子の一人であるS・フェレンツィ(Ferenczi, S.)の表現に従えば、ほれこみの場合には、自我は貧しくなり、対象に身を捧げて対象を自己の最も重要な部分の代わりにする。
 たとえば、ほれこみの実例として、私がしばしばあげるのは、シラノ・ド・ベルジュラックである。シラノは、内心ロクサーヌに愛されたい気持ちでいっぱいであったが、自分が醜男なのを恥じて、その思いを美男のクリスチャンに託する。つまり、自分の「愛されたい気持ち」をクリスチャンに投影して、クリスチャンがロクサーヌに愛されたいと願っている、というふうに思う。そして、このクリスチャンに同一化して、クリスチャンがロクサーヌに愛されることが、自分の喜びである、という心理関係をつくり上げる。この投影同一化が取り入れ同一化と違う点は、自分の内心に抱いている願望をクリスチャンに投げかけ投影して、その願望の充足をクリスチャンの喜びに同一化する点である。
 どちらかというとフロイトは、同一化の中でも、取り入れ同一化を発見したのだが、ロンドンの精神分析家M・クライン(Klein, M.)とその流れは、投影同一化を精神分析の最も重要な基本概念として位置づけるようになる。

ほれこみと集団幻想
 そしてさらにフロイトは、このほれこみが集団的に起こるメカニズムを論じている。集団が個々人の自己主張=自己愛を制限して、ある種の愛他主義によって強い感情的結合を形成するのは、指導者またはその集団の共有する理想像に対する各成員のほれこみ、つまりそれぞれの献身的な同一化と、集団成員相互の間の同様の同一化が強い感情的結合を形成するためである、と言う。そして、こう語っている。
「このような一次的(原始的)な集団は、同一の対象(指導者)を自我理想とし、その結果、指導者そして成員同士が、同一視し合う個人の集まりになる」
 やがてナチス・ドイツは、一人の指導者ヒトラーに国民の過半がほれこむ異常な集団幻想国家をつくり出した。皮肉にも、この集団心理を解明したわずか十余年後に、フロイト自身がその集団狂気の迫害を受けることになった。

第4章 喪の仕事と回想

2 グラディーヴァ

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グラディーヴァの魅力

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 晩年に執筆した『分析技法における構成の仕事』(一九三七)でフロイトはこう語っている。
「幼児期の記憶を再構成するという分析家の仕事は、古代の埋没された建築、建造物を発掘する考古学の仕事と著しい類似を示している。それらは仕事のやり方という点ではよく一致したところがある」と。ただし、その違いについてもこう語っている。「違うのは、分析家のほうは、よりよい条件のもとで仕事をしているという点である……。なぜならば、分析家はすでに破壊された物体を相手とするものではなく、現に生きている者(被分析者)とともに仕事をするからである」。
5 事後性──記憶は書き換えられる


フロイトにおける記憶研究
「4 幼児期記憶と抑圧──種々の回想の仕方」で述べたようにフロイトにとって、過去の記憶の回想は一貫して最大の研究課題であった。心的外傷が本当に経験されたものなのか、半ば空想や虚偽の加わった産物なのかが、すでに一八九〇年代からのフロイトの疑問だった。そしてそこから、無意識に抑圧された過去の体験が言語化される回想、そして、転移や行動化の形で無意識に反復される回想、心的外傷体験への固着と反復強迫などの研究が展開された。
 ところが、その一方で、亡くなる二年前の一九三七年、精神分析における記憶の回想は、分析者と被分析者との間の共同作業による再構成であるという考えを発表した(『分析技法における構成の仕事』)。この再構成の考えは、患者一人が自分の心の中で一人で回想するのではなく、むしろ分析者、被分析者二人で形成していく対話的な再構成であり、物語化であるという考えである。フロイトはその中で、再構成された過去のリアリティは、考古学にたとえられるような歴史的真理であって、現在の時点でそう理解するのが最も妥当という意味での真理であると言う。さらにフロイトは、記憶について回想する時点が推移するにつれて、ある種の相対的な修正変化がその回想の過程で起こることに、すでに一八九〇年代から、気づいていた。

第5章 エディプス・コンプレックスとは

2 心的リアリティと原幻想


心理学者フロイトの誕生
 性的外傷論を発表してからわずか数年で、フロイトのこの臨床上の所見、すなわちヒステリーの原因は幼児期の性的外傷にあり、それは実際に起こった出来事であるという確信に深刻な動揺が起こった。なぜならば、ヒステリーの患者たちが回想する性的外傷(多くは父母からの近親姦的誘惑)の体験が、しばしば事実ではなく、虚構と現実の混合、半ば空想の産物であるという事実にフロイトは気づいたからである。そしてこの臨床上の認識は、フロイト自身が「人生最大の」とその自伝(『自己を語る』)で語るほどの試練をもたらすことになった。あれほど戦闘的に、たしかな臨床上の所見として学会に発表していたのに、実は、患者たちの誤った思い込みに自分が動かされていたことに気づいて愕然としたフロイト。一体この誤りにどう対処したらよいのか。科学者、臨床研究者としてのフロイトの自信は大きく揺らいだ。
 ところが、この危機のさ中でフロイトは、この自分の誤りをそのまま受け入れて、この事実の新しい認識に基づいて理論を再構成することに活路を見出した。そしてこの危機を通して、物的なリアリティ(materialistic reality)にその認識の拠りどころを置いた自然科学者フロイトから、心的リアリティ(psychic reality)にも物的リアリティと同等、いやそれ以上の存在権を認める心理学者フロイトが誕生した。
 多くの女性患者が、父親からの性的な誘惑、その父親への性愛的な愛着の記憶を回想する。それは本当にあったことのようでもあるし、彼女たちの妄想や思い込みの産物のようでもある。そこでまずフロイトは、こう問いかける。「なぜ、こんなふうにどの患者も同じような虚構、同じような回想を自分に語るのだろうか」と。そして、みずからこの問いに答えて次のように述べた。
「たとえそれが過去に経験された事実でなかったとしても、すべての患者が現在この治療状況の中で同じようにそれを回想し、空想するという心的リアリティが観察されているのは、たしかな事実である」(『精神分析運動史』)
 それまでのフロイトは、患者が回想する記憶が事実そのまま起こっていたと、その事実を素朴に信じ込んでいた自然科学者フロイトであった。しかし、いま、たとえそれが空想の産物や誤った記憶であっても、患者たち本人がそう思い、そう話すことに意味がある、そうとらえ直すことによって、心理学者フロイトになった。そして、この空想や誤った記憶を本人自身がそう体験し、そう思い込んでいるリアリティを、「心的リアリティ」と呼んだ。
「このこと(誤り)がわかったとき、最初に起こったのは、絶望的な困惑でした。精神分析は正しい道を辿って性的外傷説に到達したのに、それは真理ではなくなってしまいました。足場は真理を失って崩れ去ってしまいました。……しかし、いま新しく発見された事実は、彼女たちがそういう性的誘惑の情景を空想のうちにつくり出していることを意味することになります。心的リアリティは、事実の真理と同じように尊重されなければならないのです」
 それだけに次のフロイトの言葉は、その意味で最も的確に精神分析の核心を突いている。「心的な産物〈空想〉も一種の現実性(リアリティ)を持っている。患者がこのような空想を生み出したこと、それは、あくまでも一つの事実である。そしてこの事実には、神経症にとっては、患者がこれらの空想の内容を実際に体験した場合とほとんど同じ意味がある。この空想は、〈物的な〉リアリティではなく、〈心的な〉リアリティを持っているが、神経症の世界では、心的リアリティこそ決定的なものである」(『精神分析入門』)
4 戦争神経症と心的葛藤・疾病利得

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仮病ではない!
「しかし」とフロイトは言う。フロイトの意見によれば、純然たる仮病の数は少数であった。そして、フロイトは軍の対策委員会に対して次のような意見を述べている(E・ジョーンズ『フロイトの生涯』一九五六)。
「精神分析はすべての神経症の原因を心的な葛藤に由来するものと考えている。戦争神経症の直接の原因は、この見地から見ると、軍事上の危険から逃れる欲求、つまり自己保存の本能と、これを認めることを妨げる義務感、服従への意志との間の葛藤である」
 つまり、この当時のフロイトは単なる外的な侵襲・破壊的な出来事の体験が、直接、外傷神経症を引き起こすわけではなく、むしろこれらの体験が心的な葛藤と結びつくときに心的外傷になるというモデルを確立していた。そして、戦争神経症はこのような外的な体験と内的な葛藤との結合によって生ずるという意見を提出し、これらの人々は見かけ上はたしかに疾病利得を得ているにしても、明らかな仮病とは区別すべきであると委員会に強調し、患者たちの立場を擁護した。フロイトはそのとき、こう述べている。
「すべての神経症患者がある意味において仮病を使っているという一般論としては、戦争神経症の患者も仮病を使っているという意見に同意できるが、ただ、それは意図的な仮病ではなくて、無意識的にそうなのであるという点がいわゆる仮病とは違うのです」
 そしてフロイトは、患者の利益を常に第一にする医師の義務と、患者を軍務に復帰させようとする軍当局の要求との間に立って、「皆さんは一体どちらの立場に立つのか?」と、当代一流の教授や医師たちからなるその委員会に迫ったのである。このフロイトの意見に対して激しい論争が続き、結局は全委員がフロイトに反対する立場に立つことになったという。
 このフロイトの戦争神経症の委員会に対するエピソードは意外に知られていないが、軍事的な体制に対して、あくまでも病者の側に立つ、いかにもフロイトらしいこの一貫した医師としての態度を──安堵と快哉を叫ぶ気持ちとともに──私たちは心にとめておきたいものである。
 なお、現代の代表的な心的外傷研究者J・ハーマン(Herman, J.)は、「男は軍隊、女は家庭の中で拘禁された環境状況の中で虐待─外傷を経験する」と述べているが、すでにフロイトはこの意見を先駆者的に先取りしている。戦争神経症の心的外傷は実は軍隊という拘禁状況の中で起こるところに特質があるとフロイトは指摘しているからである。「国民軍は戦争神経症の培養土であり、職業的な兵士、傭兵では戦争神経症のあらわれる可能性は少ない」。そこで破壊されるものは自己保存本能─自己愛で、それは特定集団への拘禁の中での心的外傷であり、その集団内の力学が大きな役割を果たす。子どもの場合にも、その虐待は家庭という周囲と隔たれた閉鎖的な環境の中で起こる点に特質がある。戦争神経症と近親姦の臨床についてフロイトは、これらの今日的な論議に先駆者的な洞察を抱いていたのである。


5 固着と反復強迫


外傷体験への固着
 人間には、意識の支配を超えた、無意識の繰り返し=反復がある。ひとたび、ある外傷的な体験を持つと、何らかのきっかけでその外傷時の状態に逆戻りする傾向を持っている。一九一〇年代、特に第一次大戦で出会った戦争神経症の兵士たちの臨床を契機に、フロイトのこの認識は決定的なものになった。
 戦争神経症は一般に外傷神経症と呼ばれるが、この外傷神経症は心的外傷による固着とその反復を明確な形であらわす。「外傷神経症はその根底にそれを引き起こした災害の瞬間への固着があることを明確に示している。……夢の中でいつも(いわゆるフラッシュバックのように)外傷の情景を反復する。同様に、ヒステリーでもその発作は、患者が完全にその外傷の状態に身を置いているのと呼応している。この外傷の状況は、まだ克服されていない現実の課題として患者の前に立ちふさがる。神経症患者たちに固着・反復が起こっている体験も外傷的な体験と名づけたい気持ちになる。神経症は外傷的疾患と同等に取り扱われ得るものになり、あまりにも強い感情の結びついた体験を処理することができないために生ずる」(『精神分析入門』)。
 そしてフロイトはこうも述べている。「神経症には心的外傷を引き起こした体験状態への固着がある。神経症患者は心的外傷を体験した状況の中にそのまま置かれていて、その状況を解決しないために、時間の流れが止まり、その状態がいつまでも心的現実性を持って、現在、そこに存続し続けるかのような状態に陥る」。
 たとえばフロイトは、この見解の裏付けとして、新婚初夜に夫が不能だった外傷的体験の場面を強迫行為の中で繰り返す症例を挙げている。
 ある大人が夫と離婚したときに、繰り返し、わけもなく召し使いを自分の寝室に呼び寄せ、わざわざそのテーブル掛けに赤インクをたらし、そのシミを見せるという強迫行為を繰り返した。この強迫行為の背後には、実は十年前の新婚初夜の外傷的な体験があった。なぜならば、彼女の夫は性的不能であった。この事実を隠すために、彼女は寝室のシーツに赤インクをたらして、召し使いにそれを見せ、自分の夫が性的不能ではなく、自分はもうすでに処女ではなくなったということ、つまり婚姻が成立した事実を示そうとした。
 この新婚の不幸がそのまま十年後の離婚に直結していた可能性があるのだが、そこでも、離婚の理由が夫の性的不能にあるわけではないという事実を強調しようとする無意識的努力が、召し使いを呼び寄せるという強迫行為の中に再現されていた。この場合にも、その新婚初夜の心的外傷が、このような強迫症状の形で繰り返されていたという。

転移と反復強迫の認識
 フロイトは、治療中に患者たちが治療者との間で、かつての親との関係を繰り返す現象を転移と呼んだが、この外傷神経症における固着─反復の認識と相まって、実はこの転移は、幼いときの外傷的な親子関係の無意識の繰り返しであると考えるようになった。特に『想起、反復、徹底操作』という論文(一九一四)でフロイトは、多くの人々が過去を回想し語る代わりに、本人も無意識のうちにその過去の体験を繰り返し、それを行動化の形で反復するという臨床観察を持つようになった。そして、この意識の統制を失った無意識的な繰り返しを反復強迫と名づけた。フロイトによればこの反復強迫は、受け身で強いられた外傷的な体験を自分のコントロール下で能動的にやり直そうとする意図を持つという。次項で述べる道徳的マゾヒズムの研究は、無意識に不幸を繰り返す人々の宿命を明らかにしたが、彼らは、宿命神経症とか、運命神経症と呼ばれる。彼らもまた、過去の受け身で加えられた外傷的体験を、能動的な形での繰り返しを通してコントロールできるようになろうとするのだが、結局はまた同じ外傷体験の繰り返しになってしまう。これらの人々からフロイトは、反復強迫の何か運命的な力を実感したようである。
 この固着と反復強迫というフロイトのとらえ方には、人間の宿命をじっと見つめる諦観、ペシミズム的な情感が漂っている。それは、知性と意志の優位に夢を託したフロイトが第一次大戦を契機に抱くようになった、人間性に対する絶望感の反映と見ることもできる。


6 道徳的マゾヒズム


道徳的マゾヒズムとは
 フロイトは、みずから不幸、災厄を求めるかのように行動する人々に注目し、その心の層に、本人も気づいていない無意識的罪悪感に由来する自己処罰心理が潜む事実を明らかにし、この心性を道徳的マゾヒズムと呼んだ。
 マゾヒズムという言葉は当時、もっぱら性的マゾヒズムの意味で用いられていた。それは、傷つけられたり、苦痛を与えられたりすることで、性的に興奮し、性的な満足を得るという一種の倒錯心理としてのマゾヒズムである。
 そして第二には、女性的マゾヒズムである。少なくともフロイト世代までの古い時代には、女性は男性に尽くし、献身し、自分のことをさしおいて、まず相手(夫や男性)の成功や幸せを優先するのが当たり前だと思われていた。女性は、いろいろな苦しみや悲しみに耐えながら男のために尽くていた。このような傾向を女性的マゾヒズムと呼ぶ。特に、夫婦・男女関係の性の世界の中でも、ある種の女性的なマゾヒズムがこの時代にはしばしば指摘された。それは、種々の肉体的な苦痛にも耐えながら、それをも喜びとして性生活を営むという女性、そして妻のおつとめがその時代には美化されていたのである。
 第三が、フロイトの言う道徳的マゾヒズムである。この心性の持ち主は、幼いときから自分のことを、罪を犯した、罪深い人間だという思い込みに取りつかれている。そして、あらゆる艱難辛苦を、自分のこの罪のために当然受け入れなければならない罰や報いとして受けとめようとする。どんなこともすべて自分が悪い、自分の犯した罪の報いであると思う。その背後には、フロイトが明らかにした無意識的罪悪感がある。本人は必ずしもそれを意識してはいないのだが、自分は罪人であり、幸せを得る資格はないとか、自分は完全な人間ではないとかといった劣等感や心の傷つきを心に秘めて暮らしている人々である(『マゾヒズムの経済的問題』一九二四)。

第7章 宗教、国家、民族からも自立して

1 科学的世界観──宗教との闘い


科学的世界観とは
 フロイトは、みずからの拠って立つ思想を、キリスト教、ユダヤ教の宗教的世界観やマルクス主義世界観と対峙させて、晩年(一九三二)、『続精神分析入門』の中で「科学的世界観(wissenschaftliche Welt Anschauung)」と呼んだ。それは、一九世紀末から二〇世紀にかけて台頭した自然科学的な経験科学を拠りどころにし、フロイトの言う普遍的知性の連帯を求める心のあり方であった。
「科学的思考は、すぐ手に入るような直接の利益のない事物に対して興味を持ち、個人的因子と感情的影響とを注意深く遠ざけようと努め、みずから推論の基礎にする知覚を吟味して、その確実性を根拠として推論を進め、日常の手段では得られない新しい知覚を生み出し、これらの新しい経験の諸条件を、実験の中で分析してゆく。このような科学的精神の努力は、われわれの外部に独立して存在する現実との一致に到達することをめざしている。われわれはこの現実との一致を真理と呼ぶ。真理は科学的研究の究極目的である。……そしてこの科学的精神、つまり知性が時とともに人間の精神生活における独裁権を獲得するであろうことこそ、最良の未来への希望である」(『続精神分析入門』)
 フロイトにとって、彼の創造した精神分析もまた、この科学的精神を人間の心、とりわけ無意識の探究と治療方法に実現したものにほかならない。

宗教との闘い
 そして、人間の心に科学的にかかわる以上、これまで人間の心を独裁していた既成の宗教との闘いは避けがたい。「従来の宗教の思考禁止のような、健全な人類の知性の発達を妨害するものは、人類の将来にとって一つの危険である」とフロイトは述べた。
 たしかにフロイトの人生は常にこのような宗教的世界観との闘いであった。結婚式のとき、宗教抜きの結婚式を認めない当時のウィーンにおいて、心ならずも宗教的な誓いの言葉を暗誦し語らねばならなかったのは、フロイト一生の屈辱であった。そして、「このオーストリア帝国では、かつて一つの言葉がはやった。『それはただの反対ではない。それは(政府、教会に対する)不逞な反対だ』」と古い社会体制を批判している。このような党派的な発言が流行した社会の姿勢こそが、フロイトを、そして精神分析を弾圧し迫害する、古き時代の真理圧迫の態度であった。フロイトは言う。
「近代科学の歴史はまだ若い。真理の探究とその自由な発表を自分たちに対する不逞な反対とみなす偏見と因襲と闘いながら、ゆっくりと忍耐強く、辛苦の道を辿らねばならない」

科学的知性への希望
 たしかにフロイトにとって、またフロイトを生み出した時代精神にとって、人類の科学的知性こそ、古きもの、悪しきものを滅ぼし、新しきもの、善きものを発見する未来を約束する輝かしい希望であった。医学界のパスツール、コッホ、エールリッヒと、物理学のキュリー夫妻など、これらの科学者はすべて、人類の幸福と科学の進歩は一つのものであり、偏見を越えた自由な真理の探究こそ、人類の進歩の原動力であると明るく信じていた。少なくとも第一次世界大戦の勃発までは、である。
2 国家悪と戦争の告発

〔…〕

人間性への不信
 フロイトのこの幻滅は、人間性そのものに対する不信にまで深刻化した。『戦争と死に関する時評』でフロイトは、何とかしてその絶望から立ち直ろうともがきながら、再びフロイトらしい結論を下す。つまり、人類の知性にはかない幻想を抱いていた自分がおめでたかったのだ、しょせん人間とはこういう存在にすぎなかったのだ、と。
「この戦争で味わったわれわれの悩みや悲痛な幻滅は、そもそもわれわれが抱いていた誤った幻想=知性に対する理想化にとらわれていたための幻滅である。何も急に世界の市民たちがひどく堕落したわけではない。なぜならば彼らは、もともとわれわれが信じ込んでいたほど立派だったわけではなかったのだから」
 第一次大戦という戦争は、人々を背伸びさせていた、その抑圧された原始的衝動を集団的狂気の中で解放しただけなのだ。
 不幸にも、ヨーロッパの人々は、このような集団的狂気を二度と繰り返してはならないというフロイトのこの知性の叫びに耳を傾けなかった。いやむしろ、人々の知性の声は次第に弱められ、ついにはヒトラーのあの絶叫が甲高く響きわたる時代を迎えた。そしてこの絶叫は、フロイトが最もおそれたナチスの集団狂気によるユダヤ人迫害と第二次大戦という絶望的な破局へと人々を駆り立てた。
 それにもかかわらず、ガンとの闘いのさ中、フロイトはひとり知性の闘いを続けた。精神分析の拠りどころを科学的世界観と呼び、集団幻想、宗教、社会主義との対決を進め、やがてフロイトは、ユダヤ人とキリスト教の根源的な対立の起源にまでその自己洞察を深めてゆく。それは、ユダヤ人であることさえも含む、あらゆる集団幻想から自由な「個」としての自己の探究であった。

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