Rシューマン 弦楽三重奏曲op80 と「子供のためのアルバム」op68との関係。メンデルスゾーン、ブラームスについて
facebook の「思い出」より――2016年の今日 12/8 シューマンop80
昨日思ったこと。
これの前に聞いていた String Quartet op41-2 との連関から聞き出したが、
ここにもやはりブラームスの足跡が多い。
(おもに弦楽5,6重奏曲、symの掛け合い仕様。天使の主題さえあり!、ブラームスによりかなり研究されている。)
op80と番号が振られてはいるが 実際には、1847年に書かれている。
子供のためのアルバム op68 の前年だ。
が、47年というには微妙な年で、メンデルスゾーンが11月に亡くなっている。それより前に書かれたか後に書かれたかはまだわからないが、この年はメンデルスゾーンの姉ファニーがすでに5月に亡くなって、メンデルスゾーンのショックの激しいのと精神状態の上下向をシューマンは当然察知しており、その後に書かれた可能性は濃厚である。
不安定。聞き慣れていた時は、シューマンにしては、さして短調もないし愉しげな曲想だなあという感覚だったが、さすがにすこし精神の不安がよぎる覚束ぬ愉しさ。それが調性の拡張、という形で出ている!
通常の作曲家は——ブラームスやフォレでさえ——調性の拡張・逸脱を、(機能和声進行の転機を迎えつつあることから)作曲の方法論としてある種割り切っており、その点での健全さ(ストラテジーとしての構え)が前提になっているが、シューマンという人間においては、方法の問題と精神の問題とは不即不離である以上にむしろ全く一致している。
偶然とは感じられない。
それこそがシューマンらしさでもあると思えるのだ。機能和声進行の逼塞から逸脱こそが、人間精神の逼塞と逸脱=転機そのものが、いわば集約的に一人の人間において、きわめて裂開的に具現(表徴)されているからである。
やはりなにか精神の拠り所・支柱がない感じ...。
そのように、メンデルスゾーンをすでに喪っているかもしくは喪いつつある(?)こと、——それが音楽的な意味だけでなく精神的に左右していること——が、もちろんきわめておおきいだろうが、
もうひとつの不審な点として?、それまでにはシューマン音楽の錯綜するシニフィアンにとって、確実にクララであったろう<到達点(シニフィエ)>にすら、すでに揺らぎが生じている感じで——この頃(47年)まだブラームスの登場は無論なく(あれは53年――正確には10月とされている)、そうした意味で具象的な代替問題までは浮上していないものの、かといって——op41やop54の頃のような確信に裏打ちされた憧憬と同じ・もしくはその円熟線上、とは...やはりいいがたい。
そのせいなのか、ベートーヴェンの幽霊op70-1——ジョセフィネ像——正確には姉テレーゼを被ったジョセフィネ像(から発せられる「女性」性)と、遥かなる恋人op98——アントニア像(から発せられる「女性」性)——とが癒着している、大芸術家の搦手、暗黙裏の秘匿⁉︎を、無意識下にか意識的にかは知らないが、暴いてしまってさえいる...(キメラ/キマイラ Χίμαιρα)
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