心理学ガール #22

そう思えばそうなる

 僕は心理学部の大学4年生。ここは学生会館2階のいつもの席。今日も僕はハルちゃんと催眠について話をしている。

ハル「先輩。今まで催眠について勉強してきて、学問的な催眠を実践するためにはどうしたらいいのかわからくなってきました。催眠状態や変性意識状態がないのなら、催眠現象を起こすための誘導というか、働き掛けはどんなことをすればいいんでしょう」

僕「そうだね。無意識理論や催眠状態を前提とした催眠は、催眠の掛かり手の意識をいかに欺くか、いかに催眠状態にするかに重点が置かれているよね。トリックみたいなものを催眠だとっいたり、効果がないのに頭を回したり、体を揺らしたりする。嘘をつくような誘導は不誠実だし、体を無理に動かす誘導はけがの危険がある。だけど、多くの催眠愛好家は、それしか知らないから、当然それを続ける。だから、それらの方法に代わる催眠現象を起こすための方法が広まらなくてはだめだと思うことはある。一緒に考えてみようか」

ハル「よろしくお願いします」

僕「これは一つの案だけど、催眠は、催眠状態がないとする社会的認知理論で説明することができて、それに基づいた催眠誘導を考えてみよう。ここでいう認知は、人が考えることとか感じることみたいな理解でいいと思う。社会的認知理論の中で催眠を説明する、反応予期理論というものがあって、ざっくり説明すると、人の行動は部分的にその人が持っている予期に基づいて決まるというものなんだ」

ハル「予期ってなんですか?」

僕「子測して期待するみたいな感じかな。どちらかというと期待するという意味合いが強いかもしれない。簡単にいえば、人は、これから自分に起きることを期待していて、実際に期待したとおりのことが起きるという理論なんだ。心理学で有名な『予言の自己成就』と似ているかもしれないね。ただ、期待するっていっても、一般的な使われ方として『明日、晴れるかなぁ、わくわくするなぁ』というような、現に頭の中に浮かび上がる具体的な考えを持つという意味ではなくて、過去の経験や知識から、その事柄が起こるだろうという考えや感覚、それを認知と言い換えてもいいかもしれないけど、それを持っているかどうかという意味でとらえた方がいい。それは、現に頭の中に言葉として浮かび上がってこなくても持っているもので、それが行動に影響しているという考えだ。催眠でいえば、催眠について、催眠に掛かると自分は暗示のとおり意図しない行動をしてしまうという考えを持っているかどうかみたいな感じかな」

ハル「えーっと、予期というものは、つまり構成概念ですよね? 催眠状態も構成概念で、結局、催眠を説明するのには使えないという話でしたけど、予期と催眠状態は違うんですか?」

僕「素晴らしいね。そう、予期というのも構成概念だ。だから、使い方を間違えば催眠状態と同じように意味のないものになってしまう。催眠状態という構成概念がどうして意味がなかったかというと、催眠状態が催眠現象の原因とされているにもかかわらず、催眠現象という結果からしか証明することができなかったからという話だった。トートロジーになっていると説明したかな。この場合、催眠状態は催眠現象を予測・制御できないんだけど、予期というのは、それを測定することができるかもしれないというところで催眠状態とは違うかな。ぱっと思い付いた例えだけど、『あなたは100メートルを20秒以内で走れると思いますか』という質問に対して、走れると思うと回答した人は実際に走れる確率は高いと思うけど、予期というのはこうやって工夫すれば測定可能な構成概念だと思う」

ハル「質問紙法というやつですね。確かに過去の自分の経験から、実際に自分ができると予期している行動は起こる確率が高そうですね」

僕「そうだね。この反応予期理論は、催眠以外にも薬のプラセボ効果の説明にも使われている。薬を飲むと効果があるだろうという予期によって、実際には薬ではないものを薬だと思って使っても効果が表れてしまう。反応予期理論は、実際に人が意識的にする行動以外の現象も引き起こすところを説明しているがおもしろいよね。そういう意味でも催眠中の意識できでない行動も説明できるんぢ。余談だけど、催眠好家の一部は、世の中のことを何でも催眠で説明したがって、プラセプ効果は催眠だという人もいるけど、これはあながち間違ってはいなくて、正確には、プラセボ効果と催眠の効果は同じ理論で説明できるかもしれないってことなんだよね」

ハル「プラセボ効果を説明する理論なんですね。今まで薬を飲んでよくなってきたという経験や薬は病気に効くという知識が、薬が効くという予期を作っていいて、それが偽薬の場合でも実際に薬の効果として表れてしまうということですよね。不思議ですけど、プラセボ効果っていうのは実証されていますし、催眠を説明する理論としては納得ができます」

僕「この理論が正しいかはまだ研究途中だけど、催眠という現象を予測・制御できるという意味では、無意識理論や催眠状態理論よりも科学的っていえるかもしれないね。それで、この理論を基にすれば、催眠誘導で何をするのかはっきりしてくるよね。予期を作る、あるいは予期を高めることが、催眠現象を起こすために必要になってくる」

ハル「なるほど。そのとおりですね」

僕「例えば、振り子を使わせたりする観念連動を利用した催眠誘導を、反応予期理論から説明すると、催眠に類似した現象を経験することで、催眠に対する予期を高めているといえる。そう考えると、無意識に働き掛けるとか、催眠状態にするためとしている現に使われている催眠誘導も、実は予期を高めるという効果があるかもしれないということなんだ」

ハル「そういうことなんですね。無意識とか催眠状態がないのにもかかわらず、それを目的とした催眠誘導が有効である意味がわからなかったんですけど、よくわかりました」

僕「反応予期理論から考えれば、トリックで騙したりする催眠誘導は必要はないよね。逆にトリックで騙されたと思われれば、催眠に対する予期は下がってしまう。むしろ、トリックなんだけど、そこで感じる感覚は催眠に近いと説明することの方が正しく催眠の予期を高めるかもしれない。いずれにしても、不意を突いたり、騙したりする催眠誘導は必要なくなる。他には、過去の催眠に類する経験を聞くことで、催眠に対する予期が高まるかもしれないよね。これは、現代催眠の喚起という方法を説明しているかもしれない。とにかく、催眠に対する予期を高めるという観点から、今までの催眠誘導を考え直すことで、意味のない誘導はなくすことができるだろうし、その観点から新たな催眠誘導を考えることができるかもしれないね」

ハル「学問的な催眠を実践するために、反応予期理論を基にした催眠誘導とか考えてみたいと思います。今日もありがとうございました」

 ハルちゃんは出口に駆けていった。